Chapter. 9

Shiny Day
陵高体育祭 3





 
   

『ご来場の皆様、そしてご近所の皆様、おはようございます。本日は光陵高校の体育祭です。実況放送でお騒がせいたしますが、なにとぞご容赦くださいますよう、よろしくお願いいたします!』
放送部の石沢先輩が淀みなくハキハキとアナウンスする中、生徒のほとんどは中庭で入場行進のための長い列を作っていた。

五色の鉢巻でチーム分けされた生徒がひしめき合い、その話し声が校舎の壁で反射して、まるで街中の雑踏のような喧騒となっている。

「じゃぁ波綺っち。頼んだよ」
演技がかった態度で透子先輩は俺の両肩を二回叩いて、屈託の無い笑顔でグッと親指を立てた。
見るからに体育祭を心待ちにしていた感じの透子先輩は、A組お揃いの赤いハチマキが妙に似合っている。

「……どうして、お……私が先頭なんですか」
普通、先頭はチームの代表じゃないのか、と思う。
そして、A組の代表は三年生の岡島先輩のはずだ。

「うんうん。それはね。岡島じゃパッとしないからなのだよ。当の本人も名ばかりの代表だって公言してるし」
その顔には『だって、その方が面白いだろ?』と書いてあるのがありありと見えるんだけど……

バッサリと切り伏せる物言いだが、岡島先輩ご本人がその隣で頷いてるものだから反論もしにくい。
しかも、入場行進は三年生からだから、周囲は先輩たちばかりで、クラスメイトの援護も期待できない。

「さくらさんは、今や光陵の顔ですしね。ほかの人選は考えられないでしょう?」
「そうそう。がんばって! さくらちゃん」
ちひろさんと志保ちゃんも、ここぞとばかりに賛同する。

「……わかりました」
いろんな言葉を飲み込んで頷き返す。俺もお世話になっている上級生に逆らえるほど無鉄砲じゃない。でも、この目立つ社名入りジャージが決心を鈍らせるんだ。

「もう、まだグズってんの? どうせ、その歩く広告塔な服が気になってるんでしょ」
いつの間にか前に来ていたメグが話に割って入る。しかも図星を突いてくるあたりはさすが幼なじみ。

「それもある」
「いいじゃない。そのジャージでみんなと同じ列の中にいる方が逆に目立つかもよ? あー、目立つと言うか浮くと思う。絶対」
ニンマリと例の笑みを浮かべる。確かにそれも一理ある、か?

「わかった。と言うか、納得しかけてたんだから混ぜっ返さないでよ」
「はいはい。納得してんなら、ちゃっちゃと準備する。そろそろスタートのはずよ」
パンパンと手を叩くメグに急かされ、列の先頭に立つ。

当たり前だが、俺の前には誰もいない。
前を向くと、うなじにゾワゾワとした感触が這い上がってきた。
入場門のそばには教師がふたり立っている。しかし、それ以上にギャラリーが群がっていて、容赦なく視線とカメラのレンズとが注がれている。
その圧力に立ち向かうべく、胸を張って背筋を伸ばした。

(っ!?)
その時……首筋にピリッと電気が流れたような不快な感触に思わず身を竦める。

咄嗟に振り向くと透子先輩をはじめ、A組のみんなと視線が合う。すぐ後ろにいる志保ちゃんが微笑み、十数メートル離れている茜も気づいて大きく手を振ってくる。

(……違う)
茜たちに小さく手を振って周囲に視線を巡らせる。ほぼ全生徒で溢れる中庭には視界に入る生徒だけで百数十人はいるだろう。今の感じは明らかに非友好的な視線によるものだった……と思う。だけど、この人数では、それが誰なのかまでは判断しようがない。

「どうかした?」
一歩前に進み出た香澄先輩が優しげに微笑む。

「……いえ。ダメですね。ちょっと神経質になってるのかな」
朝から多くの視線にさらされているから自意識過剰になってるのかも。

「大丈夫よ。後ろには私たちがついてるから」
「そうですよ、さくらさん。バックアップは任せてくださいね」
香澄先輩の隣に並んだちひろさんもきゅっとこぶしを握って励ましてくれる。

「はい。よろしくお願いします」
「おぉよ。任された!」
ふたりの間に割り込んできた透子先輩が右拳を空へと突き上げる。

「透子! なに横から入ってきた分際で話を締めてんのよ!」
「なんだよ、もーうるさいなぁ。香澄にばっか良いカッコさせてらんないっしょ?
「いい加減ウザイんだから、いちいち張り合わないでくれない?」
周囲が『また始まった』とばかりに苦笑いで少し距離を取り出した。

香澄会長と透子先輩は仲が悪いわけではないんだけど、両雄並び立たずと言うか小競り合いが絶えない。凛先輩曰く『じゃれてんのよ。ほっとけばすぐ飽きてやめるから』だそうだ。

「ヤダ。この透子様の目が黒いうちは香澄の好き勝手にゃさせないって決めてるから」
「誰か油性の白いマジック持ってない? いっそペンキ缶に頭ごと漬け置きした方がいいかしらね」
「おいおい。穏やかに行こうぜ? 暴力反対、香澄は変態」
「いったい、どの口が……」
「はい。そこまで。二人とも、始まるみたいよ」
呆れ顔を隠そうともせずちひろさんが仲裁に入った。ふたりがちひろさんに向き直った瞬間、ついと上を指さしたかと思えばスピーカーからキーンと接続ノイズが鳴った。

『それでは、まもなく生徒が入場します! 放送席から見て左手の入場門より、各チームごとに行進してまいります。カメラ等の準備は今のうちにお願いいたします』

ともあれ。
さぁ、いよいよ体育祭のスタートだ。





『我が光陵高校は、各学年ごとにA、B、C、D、Eの五つのクラスに分かれています。今年の体育祭は、そのクラスを縦割りにして、一年、二年、三年生の同じアルファベットのクラスでひとつのチームを作りました。それぞれのチームカラーが、A組は赤、B組は青、C組は黄色、D組は緑、E組が紫となっています。ゼッケンと鉢巻きに各チームカラーがあしらわれてますので、チームの色をしっかりと覚えて応援してください。……それでは、お待たせしました! ただいまより選手が入場します!』

放送の言葉を引き継ぐように行進のマーチが流れ始める。

「よーし、それじゃ右足からいくよ。足踏み〜、いち。に。いち。に」
透子先輩のかけ声に合わせてその場で足踏みを始める。

視線を前に向けると、
入場門の外側を埋め尽くすような三脚のハンディビデオカメラ群に心なしか気圧される。

各校が競うような大会と違い、体育祭は
校内のイベントなので先導するプラカードを持つ役の生徒はいない。本当に俺が先頭切って歩いていくことになる。ペース配分とか、コース取りとか、ほかの人を見て合わせられないから、ちょっぴりプレッシャーが。

「では、いきます」
振り返って合図すると信頼の視線が笑顔と一緒に返ってくる。
その笑顔に頷き返し、高まる緊張を抑えて第一歩を踏み出した。





『最初に入場してきましたのは、情熱の赤をチームカラーとしたA組です! なんと、生徒会長自らが先頭に立って行進してまいりました』
その放送を受けて人々の視線が入場門に集まる。

余計なことを……と、半ば八つ当たり気味に内心で毒づいた。
わざわざ言うようなことなのか? ……まぁ、認めたくないが言うべきだって思われてるんだろう。

ちょっとローカルニュースに取り上げられたからって、こうまでも注目が集まるのはおかしいと思う。いや、俺が個人的に思いたいってだけで、この現状こそが結果としての事実なんだろう。しかし、だからこそ杞憂にすぎないとわかっていても、俺自身が隠していることが明るみに出てしまったゆえに注目されていると、被害妄想めいた想像をしてしまう。向けられる笑顔が嘲笑に思えて胸が苦しくなる。

友人たちが、顔見知りの生徒たちが、いつ手のひらを返してしまうのかと、見えない恐怖に体が竦みそうになる。数え切れない視線の圧力で無意識に体が強ばり、歩くという普段は無意識で行っている動作が意識に侵入して微妙な違和感を満たしていく。内心パニックに陥りそうになりながら、手足のリズムが不確かになってきたとき、来賓席に響の姿が見えた。

響は俺と視線が合うと、上品に小さく手を振った。そして、後ろに隠れていた人物を自分の隣に招き入れる。

「菫……」
響の胸元くらいの背丈の女の子……九條菫(くじょう すみれ)は、おずおずと、はにかみながらも健気に手を振ってくれる。
思わずこちらも手を振り返すと、とても嬉しそうに顔が綻ぶのが見えた。

(そっか、来てたんだ……)

菫は今年で七歳になる、響とは十歳近く歳の離れた妹だ。
生まれつき体が弱く、ずっと病院と自宅の往復で学校にも通えない生活が続いている。

母親とは死別していて、学校に行ってないので同年代の友人がいない。父親と姉は多忙で一緒にいる時間がほとんどない。専属の家政婦さんがいるけど、その人に対しても距離を置くほど人見知りがちな娘だと響から聞かされていた。

しかし、俺と薙が初めて菫と会った時は、人見知りなんて微塵も感じさせないほど初対面から懐いてくれた。それについては、あの響が目を丸くして驚いたほどで、その姿を目にしても響に担がれたんじゃないかと思ってたくらいだ。でも、俺たち以外の人と接するときの菫が極度なまでに消極的になるのを見て、ようやく納得した。

俺と薙に対しては歳相応に甘えている菫を見た響からの頼みもあって、それ以来、何度か遊びに行って仲良くさせてもらっている。ここ最近は菫の体調が思わしくなかったのと、こっちはこっちで高校進学で身辺が慌ただしかったこともあって会う機会がなかったから随分久しぶりに感じる。

でも、あの爺さんがよくも外出を許可したもんだと思う。

響と菫の祖父、九條家の現当主は、その地位に相応しく気難しい人で、俺も二回ほど菫のところで会ったことがある。その二回とも、俺たちが菫と会うことを快く思っていない……としか思えない態度を取られた。挨拶してもだんまりだし、会話らしい会話も成立せず、よほど祖父の方が人見知りなんじゃないかと思ったくらいだ。まぁ、怒鳴りつけられたり叩き出されてもいないので、あれでも認められている方なのよ。とは響の弁だが、とてもそうとは思えない。

と、まぁそんなのは菫を思えば子細なこと。
手が空いたらご無沙汰のお詫びを兼ねてご機嫌伺いに行かなくちゃ。

とか考えてるうちに身体の強ばりがきれいに消えて、普通に歩けていることに気づいた。
視線は相も変わらず数多く向けられているが、さっきの不調が嘘のように消えている。

(菫のおかげ、なのかな?)
そう思ってはみたけれど、だからといって我ながら現金なまでに変化しすぎだなぁと、なんだか可笑しくなる。まぁ、こういう現金さなら悪くないかな。うん。

『……我が校の新聞部が独自にリサーチしたA組の戦力ランクは、五チーム中、第三位! 中堅の位置から虎視眈々と優勝を狙います』

意識が外に向けられると、再び放送が聞こえてきた。割と長く物思いに耽っていたように思ったけど、距離的には大して進んではいなかった。

『ちなみに、この戦力ランクは各チームの運動部に所属している生徒比率に、独自に認定した運動部のエースによる補正を加えて算出しています。もちろん、結果が予想通りにならないのは世の常。ランク分けこそ行っていますが、どのチームも十分優勝が狙える実力を秘めているといっても過言ではないでしょう!』

戦力分析の内容を聞いて、そう言えば、そんなことをしてるって報告をコノエから聞いたなぁと思い出す。観覧の保護者が感情移入しやすくなるよう、チームの特性と戦力評価をアナウンスするとか。しかし、勝手に優劣を定めておいて、すかさずフォローを入れるあたり日和見すぎる気もするけど、クレーム対策として仕方ないのかな。

そして、A組は三番手か。でも、順位を決めるためのルールによると三位なだけで、実際の戦力とは異なるとコノエが言ってたし、悲観することはないか。

『A組は、運動部所属生徒数こそ全五チーム中四位と少ないものの、極秘入手したスポーツテストの記録が上位にランクする生徒が多いのが特徴です。その代表が先頭を行進する生徒会長、波綺さくらさん! 一年女子の中ではもとより、全学年女子と比較してもトップ10に入る記録を打ち出しています』

穴があったら迷わず飛び込みたい衝動に駆られた瞬間だった……





「ふぇぇ。お姉ちゃんすごいねぇ」
「ふふふ。そうね、さくらちゃん運動得意ですものね」
感嘆する瑞穂に美咲が微笑む。保護者エリアの一角を陣取った波綺、赤坂、羽鳥家一同はようやく始まった入場行進に拍手を送りつつ、遠く先頭を歩くさくらを目で追っていた。

「でもさ。確か勉強もできるんでしょ? ウチの恵が驚いたって言ってたもん」
「そうそう。学年三位だったって真吾もびっくりしてたわ。前はクラスでも真ん中くらいだったのに、あれから努力したんだろうって、先日も話してたのよ」
恵の母親である恵子と真吾の母親の琴美もさくらの話で盛り上がる。その言葉の意味を理解してはいないのだろうが、琴美の傍らに寝そべっていたジョンも顔を上げ、尻尾をハタハタと振りながら小さく吠えた。

一方、父親たちはというと、揃ってハンディカメラを準備して入場門付近に陣取っているため姿が見えなかった。





『続いて、B組が入場門をくぐって参りました! 内なる闘志を秘めたブルーをチームカラーに、颯爽と行進して参ります』
放送席前を通り過ぎたあたりで放送内容がB組を紹介するものに変わり、これで一安心と思いきや、依然として視線の圧力は一向に減る様子はない。メグは列の中が逆に目立つと言ってたが、どう考えても先頭切って行進する方が人目を集めるじゃないか。と、いまさら思っても後の祭りすぎる。

『事前予想の戦力ランクは意外にも五チーム中、第四位。しかし落胆するなかれ! 運動部比率が低かったため四位に甘んじているものの、個々のポテンシャルを抽出したエース補正は二位の実力です! 人数こそ他チームに及びませんが、一線級の人材でピンポイントに得点をあげて優勝を狙います!』

真吾のチームは四位か。確かに意外だが、我がA組も三位と楽観できないポジションだ。優勝を目指すには、かなりの努力が必要となるだろう。なにか手立てがいるな。

『三番手はイエローをチームカラーにしたC組の入場です』
そう言えば、C組は知り合いが少ないな。誰かいたっけ?

『戦力ランクは文句なしの第一位! 最も運動部在籍比率が高く、そして最もレギュラー人数も多い、優勝最有力候補です』
当面のライバルはC組か。序盤で点差をつけられないようにしないと。

『……ちなみに私もC組であります。放送は中立の立場で行いますが、心はC組優勝を願ってやみません。いけいけC組! がんばれC組! 優勝目指して突き進……え?』
中立と言いながら熱心に応援する声に観客席のあちこちから笑い声が起こる。不自然に中断した放送席では、先生に注意を受ける中沢先輩の姿が周囲の笑いを誘っていた。



D組の行進が始まるころ、A組は
グラウンドをほぼ一周してトラック内に整列した。その後、中沢先輩と交代した放送部員が告げていた戦力ランクは、D組が二位、E組はB組と同着四位ということだった。

つまり、優勝候補順にC、D、A、BとEか。しかし、コノエが言ってたように運動部所属率がメインの計算式だから不透明な要素が大きい。鵜呑みにできるほどじゃないから参考までに考えておけばいいかな。





「宣誓! 我々、光陵高校生徒一同は!」
隣に立つ真吾の大きな声で鼓膜がピリピリと痺れる。
マイクを通した声が校舎に反射して、木霊のように数瞬遅れてグラウンドに響いた。

「仲間を信じ! 自分を信じて!」
その声に負けないよう、お腹に力を入れて声を出す。
自分で言うのもなんだけど、高いソプラノの声はよく通る。

「チーム一丸となり!」
「正々、堂々と!」
「全力で楽しむことを!」
「ここに誓います!」
「生徒代表! 二年B組、赤坂真吾!」
「一年A組、波綺さくら!」
キィィンっとマイクのハウリング音に被さるように拍手が大きくなっていく。

「今日は敵同士だね」
真吾がマイクの電源を切って話しかけてくる。

「うん。手加減なんてするなよ?」
「もちろん」
お互いに右手の拳を握ってゴツッと打ち合わせた。

割と痛いんだけど、手を抜いたりしない……その想いの分、力がこもってるんだから痛いくらいでないと意味がない。そんな理由で小学生のころからやっている、いわば儀式みたいなものだ。まぁかなり久しぶりで、高校生になってからは初めてだけど、どちらからともなく自然と交わされたことが妙にうれしかった。

拳を引き戻して真吾に背中を向ける。真吾も同様に背中を向けているだろう。勝負はすでに始まっているんだから。

とか格好つけたのは早計だったと後悔することになるのは、列に戻ってニヤニヤ笑ってる透子先輩たちの顔を見た直後だった。

 
   




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