Chapter. 6

Misfortune
不幸 1





 
   

朝。
目覚ましをとめてベッドから身を起こすと掛け布団からなにかが転がる妙な感じがした。
寝ぼけた目をこすりつつ、その違和感を確かめる。
そこには、こてっと転がりつつもまどろんでいるチェリルの姿があった。

「あ、ごめ〜んチェリル」
「……ナ〜」
やる気のなさそうな返事を返して起きあがると、四ツ足揃えてブルブルっと伸びをした。
そこで起きるかと思いきや、もぞもぞとその場で足踏みする。
そして、体の下に足をしまって座り直すと再び目を閉じた。

「お〜い、まだ寝るの?」
「ン〜」
呼吸のような声を漏らすと小さく喉をゴロゴロと鳴らす。

「ふぁ……、チェリルはご機嫌みたいだけど、こっちは最悪……」
目覚めてなお霞んだ思考と渦巻くような不快感に吐き気を感じる。

具合良くないけど……我慢出来ないほどでもないし、ま、そのうち治るだろ。
それにしても寝汗でじっとりして気持ち悪いからシャワーでも浴びよ。
着替えもしなきゃだし、目も覚めてないし。ふぁ……っと。


シャワーを浴びてスッキリはしたけど制服に着替えてからも吐き気は治まらなかった。
う〜。とにかく朝食手伝わなくっちゃ。

「おはよう」
「おはよう。あら? さくらちゃんどうしたの?」
キッチンで母さんに挨拶すると開口一番にそんなことを言われた。

「なにが?」
母さんの冷たい手がおでこに当てられる。

「熱は……ないみたいね」
自分の体温と比べながら、それでも心配そうな表情は変わらない。

「別に。なんでもないけど」
「そぉ? ちょっと顔色悪いみたいだけど、本当に具合悪くはないの?」
「うん、寝起きだからだと思う」
「そぉ? ならいいんだけど」
本当に大丈夫? と何度か聞かれながらも朝食の準備を手伝う。

心配させたくなくてああ言ったものの、やっぱり見た目にもわかるんだ。
まさか昨日のビール、たったあれだけで二日酔いなんてことはないと思うけど。

朝食の準備が整ったころYシャツ姿の父さんがネクタイを肩にかけてキッチンに入ってきた。
頭を押さえて見た目にも非常に辛そうに見える。

「おはよ父さん。二日酔い?」
「うん、まぁな」
返事もままならない様子だったので、とりあえずコップに水を注いで手渡す。

「すまん」
その水をグイッと一気に飲み干して大きな息をはく。
まぁ、昨晩あれだけ飲んだんだから無理ないのかもしれない。
俺なんて一杯だけでこの調子だし。

母さんが気遣うように背中をさすりながら父さんに二日酔いの薬を飲ませている。

(アレを欲しがったら怒られるだろうなぁ……)
やめた。実行に移せば洒落にならない気がするし。

「じゃ、いってきます」
「さくらちゃん、無理しないでね」
「……うん。わかってる」
母さんの言葉に、軽く笑って答える。

「待って待ってお姉ちゃん。そこまで一緒に行こっ」
玄関で靴を履いていると、瑞穂が突進してくる。

「わっと……」
その勢いを身体で受けとめてやると瑞穂は俺の腕を掴んだまま自分の靴を履く。
文句を言おうかと思ったけど調子が上がらないので口先まで出かけた言葉を飲み込んだ。

「とと?」
慌てたのかバランスを崩してよろける瑞穂の腰を支える。
それに気づいた瑞穂が見上げるように視線を合わせた。

「もっと落ち着け」
「えへへ」
溜め息交じりの言葉にも屈託のない笑顔を浮かべる瑞穂。
わかってんのか? こいつ。

「それじゃお母さん、いってきま〜す」
「はい。車に気をつけてね」
「は〜いっ! さ、お姉ちゃん、行こっ」
瑞穂に手を引かれ、心配そうな母さんに見送られて家を出た。

「う〜んっ。今日も気持ちのいい天気だね〜」
瑞穂が大きく伸びをする。

「……だな」
「あれ? お姉ちゃん、やっぱり具合悪いの?」
朝食の席で『大丈夫』とか言ってた手前があるが調子が悪いものは悪い。

「まぁな。ちょっとだけ」
「珍しいね。お姉ちゃん低血圧でもないのに」
いや。朝、調子が悪いイコール低血圧って言う短絡的な図式もどうかと思うが。

確かに、こんなに具合悪いのは久しぶりだ。
今は頭痛はしないけど、時折、締め付けられるような不快感と吐き気がする。

「まぁ、そのうち良くなるだろ」
「ふぅん。ね、昨日〜お父さんとなに話したの?」
興味津々な様子を見て思う。
なるほど……それが訊きたいゆえに一緒に家を出たのか。
瑞穂の学校の方が光陵より近い上に始業時間も遅いから大抵は俺より遅く家を出てるんだけど。

「ん〜。色々。下宿での話とか……まぁ、お互いにここ二年になにがあったかとか……」
「あ〜っお姉ちゃんずるい! 瑞穂には話してくれないクセに 」
「そんな面白い話じゃないって。ほら、下宿先の大家さんって、父さんの知り合いだから、その辺の話をしてたんだ」
「ふぅん。じゃ他には?」
「他? ……あぁ、バイトの許可を貰った」
「バイト? お姉ちゃんアルバイトするの?」
「まぁな。場所はまだ決まってないけど、これから探すつもり。学校への申請は、とりあえずアタリをつけてからかな」
「ね。どうしてバイトする気になったの?」
「どうしてって……お金がいるから」
「欲しいものあるの? なら、お母さんに相談すればいいのに」
「……それじゃ意味がないんだ。俺の、自分自身のお金じゃないとね」
じゃないと、この体にかかったお金を返すことにはならないだろ。

「ふぅん。で、なに買うの?」
「買う、んじゃなくて……そうだな、やりたいことがあって、お金はそれに必要なの」
「やりたいことってなに?」
「……内緒」
「あ〜! お姉ちゃんずるい!」
「ずるくないって。そもそも、人に言うようなことじゃないってだけさ」
「む〜〜っ!」
「ほら。瑞穂はあっちだろ?」
話してるうちに、いつの間にか瑞穂の学校への分かれ道まで来ていた。

「あ、そっか。〜〜〜っ。ま、今はいいか。じゃぁねお姉ちゃん。無理しちゃダメだよ」
「わかってる。いってらっしゃい」
後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから踵を返した。

通学路をひとり歩きながら、さっきの瑞穂の言葉を思い返す。

お金が必要なのは、けじめをつけたいんだと思う。
誰かの庇護下でなく自分の力で生きていくことが出きるようになったら……それで初めて、本当に今の自分を認めてあげられる気がする。
なりたくてなったわけじゃない今の自分を認めて、それから本当の自分の人生がスタートするんじゃないかと思う。
もうすぐ三年経つけど……それでもまだ納得してない自分の心のために必要なこと。
考えごとをしながら歩いてきたためか、それとも体調の悪さのためか、多分どっちもだと思うけど教室に入った時は遅刻寸前だった。

ホームルームが終わるころにはようやく体調が回復してきた気がした。
しかし……。
うぅ〜〜。こんなにアルコール弱かったかなぁ。



「きり〜つ。れ〜い」
チャイムとともに一限目が終わる。
次の科目は体育。
まだ指定の服が準備出来てないので中学で使っていた黒に近い紺色のジャージをバッグから出す。
体育は嫌いじゃないんだけど着替えがなぁ。
まだ配布されてないけど光陵ってまさかブルマじゃないだろうな。
と、そんなことを考えながら制服のリボンを解いて引き抜く。

「さくら〜?」
上着の裾に手をかけたところで茜の声がしたので顔を上げてみた。

「更衣室行こ〜」
嬉しそうにバッグを振り回しながら手招きする茜。
それを周囲のクラスメイトが慌てて避けてる。
あぶないなぁ。

「…………」
ぽんっと頭の中で手の平を拳で叩く。
そっか、教室じゃなくて更衣室で着替えるんだ。
ジャージを手に立ち上がると、氷村くんたちが固唾を飲んでこっちを見ていた。

「?」
話すのが面倒だったので小首を傾げてみると、

「い、いや、なんでもないよ」
照れたように苦笑いしながら皆一斉に視線をそらした。
火野くんに至っては顔が真っ赤だった。
……熱でもあるのか?

「さくらちゃん?」
教室を出ると楓ちゃんがピトっと寄り添ってくる。

「ん?」
「さっき、教室で着替えようとしてなかった?」
覗きこむようにして訊いてくる。

「ん〜?」
上手く思考がまとまらない。
そうだったような違うような。
……って、してた。着替えようとしてたってば俺。

「あ〜そんなこともあったかも」
「あったかもって、ふふふ。変なさくらちゃん」
「う〜ん、ちょっとぼ〜っとしてたから」
「そう言えば顔色。ちょっと良くないみたい」
「そぉ?」
「うん。大丈夫? 体育休む?」
心配そうな楓ちゃんにニコッと笑ってみせる。

「ううん。大分良くなってきたから。それより更衣室ってどこにあるの?」
「更衣室は体育館に行く途中の渡り廊下のところにあるの。入学式の翌日に案内されて説明があったんだよ。さくらちゃん休んでたものね」
「そっか。ありがと」
「ね、それより〜。昨日は、颯くんとどうだった?」
「そうそう。さくらったら逃げちゃうんだもんなぁ」
少し前を歩いていた茜も振り返って話に加わる。
今朝は登校が時間ギリギリになっちゃったものだから聞きそびれてたんだろう。

「どうもこうも、ラーメン食べただけだけど」
「ラーメン? あ、だから颯くん……」
なにごとか考えこむ楓ちゃん。
昨日、颯が帰ってからなにかあったんだろうな。

「そう言う約束でね」
「う〜。いいなぁラーメン」
茜がもの欲しそうな顔をしてる。

「……そこなの」
と、それを見た桔梗さんがボソッとつぶやいた。

更衣室への途中で聞いた話では体育は男女別に二クラス合同で行われるらしかった。
男子はそのまま教室で着替え、女子は別に用意されている更衣室で着替えることになっているそうだ。

「体育かぁ」
無意識に握った手に、うっすらと汗をかいていた。

更衣室に入ると、コロンと汗の匂いが混ざったような特有の空気に顔をしかめた。
嫌い……とまではいかないけど苦手な匂いだ。
すでにかなりの人数が着替えをしていて、一瞬だけ見回してから極力視界に入れないように端っこのロッカーに陣取った。
隣に気配がしたのでチラリと横を向くと、楓ちゃんがにっこりと笑っていた。

「さくらちゃんのロッカーは、こっち」
「え?」
手を引かれて中央付近まで連れて行かれる。

うわっ……。
不意に見てしまった、カラフルな下着の色と肌色に染まった視界に目眩を感じる。

「出席番号順なの。だからさくらちゃんは私の隣」
「そ、そお」
ドキドキする鼓動を隠しながら頷く。
これだから体育は少し憂鬱なんだよな。

「そうか、さくらは休んでたからね」
右からの声に振り向くと、桔梗さんが横目で視線を送りながら……上着を脱いだ。

(!! うわぁぁぁぁ〜〜〜〜!!!!)
なんか、頭のてっぺんから声にならない悲鳴が出た。

慌てて下を向いて、自分の着替えに専念しようとしたけど上手く指が動かない。
あ。ひょっとして、さっき教室で火野くんたちが感じてたのってコレか?

「さくらちゃん、やっぱり具合悪いんじゃない?」
ひょいっと覗きこむ楓ちゃん。

( きゃぁぁ〜〜〜〜!)
楓ちゃんの白い肌と淡い水色のブラに加えて、その中央の黄色のリボンまでが目に焼き付いた。
一瞬のことだったのに妙にハッキリと映像が焼き付いてしまった。
と、とにかく。ふ、服着てからにして欲しい。

「……大丈夫」
辛うじてそう答えた。

悲鳴を上げてる頭の中とはウラハラに、あまり表情に出てないのが幸いして、なんとかごまかすことが出来たようだ。
でも、赤面してる自覚はある。
……これは体調のせいにしておこう。

意識的に自分の着替えに専念してYシャツを脱ぐと、ただならぬ視線を感じた。
ちょっと横目で楓ちゃんを見ると、なんか視線が俺の胸で固定されて固まっている。
そのまま横目で様子を見ているとコクリと唾を飲み込んでから自分の胸を見下ろし小さな溜め息をついていた。

……なんなんだかね。

体操服は持ってこなかったので別に用意してきた無地のTシャツを着て、その上からジャージに袖を通す。
ギプスのせいと、いちいち動揺してるために遅れがちな着替えが終わった頃には更衣室の人数もかなり減っていた。
出口に向かおうとすると、更衣室内のベンチに座ってた楓ちゃんたちから声がかかった。

「さくらちゃんかっこいい」
ぽつりと楓ちゃん。

「な、なにが?」
「うん。そのジャージ。イケてる。カッチョイー! ね。どこで買ったの? ブランドはどこの?」
茜がちょこちょこと動いてジャージを観察する。

「あ。これは学校支給のだから、お店では売ってないんじゃないかな」
「ホント? うわ〜いいな〜。ボクのところはゴクゴクフツーだったから」
と、桔梗さんとお揃いのジャージをつまむ。

「はいはい。急がないと遅れるわよ」
桔梗さんが、『いいないいな〜』と騒ぐ茜の首根っこを引きずるように更衣室から連れ出す後を、楓ちゃんとふたりでクスクスと笑いながらついていった。

 
   




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