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Chapter. 4
I miss you
アイ・ミス・ユー 10
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「一樹、おまえ今日下宿先に行ってたんだって?」
食卓を囲んだ席で父さんが俺に話を振る。
しかし、未だ『さくら』って呼んでくれない。
ま、父さんにとっては自分の母親と同じ『さくら』って名前は慣れないものなんだろう。
「うん。近くまで行ったからついでにね」
「そうか、随分お世話になったんだし、近いうちに一度挨拶に行かなきゃならんな」
そう言いながら父さんが母さんに視線を送る。
「そうね。改めてお礼に行きましょ。来週辺りどうかしら?」
「そうだな」
「は〜い。瑞穂も行く行く〜!」
をぃ? どうしておまえまで行きたがるんだ?
「あらあら。いいわよ〜瑞穂ちゃん。ね? あなた」
「あぁ。どうせ車で行くからな」
「……俺は行かないからね」
「え〜! お姉ちゃんも行こうよ〜」
「おまえがお世話になったんだから、行かないとダメだろう?」
と、父さん。
「そんなの……だって今日も行ったんだし」
「あらぁ。いいじゃないの。いつでも遊びに来ていいのよって言ってくださったんでしょ?」
「それは、そうなんだけど」
家族総出で行くってのが嫌なんだってば。
「とにかく。おまえも行くんだぞ。いいな。先方には私から連絡しておくから」
無慈悲な父さんの言葉で家族揃って行くことが決定してしまった。
拒否権は認められなかったらしい。
くそぉ〜。こうなったら来週、なるべく下宿先のみんなが出かけてますように。
心の中で一心に祈ってしまう俺だった。
カチャカチャと食器を洗う音がキッチンに響く。
お皿を一枚一枚、キュキュっと音が鳴るようになるまで洗っていく。
「助かるわぁ、さくらちゃん」
残ったおかずをラップして冷蔵庫にしまいながら母さんがニッコリと微笑む。
「でも、腕大丈夫なの?」
心配そうに俺の左腕のギプスを指さす。
「ん? あぁ、スポンジ掴むくらいはね。全然大丈夫。なるべく指を動かした方が治りも早いんだって。先生が言ってたし」
「そうなの? でも、無理しなくてもいいのよ」
「いいよ、このくらい。向こうではずっとやってたしね。今日まで色々あって出来なかったけど、次からは御飯の準備も手伝うよ」
「そぉ? じゃぁ、お願いね」
嬉しそうな母さん。
「うん。まだまだ料理のことで教えて欲しいこともあるしね」
「うふふ。琴実さんが言ってたわよ。さくらちゃんとお料理してて、すごく楽しかったって」
「……そう? ふぅん」
「いっそ『真吾ちゃんのお嫁さんにちょうだい』って言われたのよ〜。よっぽど琴実さん、さくらちゃんのことを気に入ったのね〜」
ふふふと無邪気に微笑む母さん。
「んー。気持ちは嬉しいんだけどね」
苦笑いで答える。
「どう? 真吾ちゃん、脈ありそう?」
笑顔のまま、とんでもないことをサラリと口走る。
「……脈もなにも。無いに決まってるだろ? 真吾も、ちゃんとした女の子の方が良いだろうし」
「あら? さくらちゃんも、ちゃんとした女の子じゃない。お料理だって上手だし〜可愛いし〜プロポーションだっていいんだし〜♪」
どこかのコマーシャルのように歌う母さん。
「前が男だったんだから『ちゃんとした女の子』じゃないって言ってるの。特に真吾とは親友だったんだから、今更そんな風にはなれないと思うし、なる気もない」
「でもねぇ。琴実さんの気に入り方はひとかたならぬものがあるみたいよ。今からでも『ウチの真吾の許嫁になってくれないかしら?』って言ってたし」
ガチャン!
手から茶碗がすべり落ちる。
う〜、良かった。割れてない。
「あのね。もう子どもじゃないんだし、今更そんなわけにもいかないだろ」
まったくもう。
「あらあら。男と女の間に理屈なんていらないのよ」
「理屈はともかく、当人の意志は尊重して欲しいね」
「さくらちゃんは、真吾ちゃんじゃ嫌なの?」
「だからね……」
はぁぁっと大きな溜め息が洩れる。
「それでね、形だけでも結納を済ませようかしらって話をしてたんだけど……」
「ちょっと待ってよ!」
勝手に決めるなってば。
「やだ。さくらちゃんってば。そんなに慌てちゃって。もちろん冗談なのよ〜」
いつの間にか用意したお茶を両手に持ってニッコリと笑う母さん。
がっくりと力が抜ける。
両手をシンクの縁について辛うじて身体支える。
つ、疲れる……。精神的に……。
「でね。一応、当人たちの意見も、聞くだけ聞いてからにしましょうってことに決まったのよ」
「勝手に決めないでって言ってるだろっ!」
しかも『一応』とか『聞くだけ』とか、俺たちの意見自体は、さして問題にしてないかのような不穏な言葉が混ざってるぞ。
「いいじゃない。それだけ気に入られてるのよ。もっと喜んでもいいんじゃない?」
「だから気持ちは嬉しいんだけどね。それとこれとは話が別なの。それに……まだよくわかんないんだよ。自分自身が。いきなり女になってさ『はい、それじゃ男を異性として好きになれ』って割り切るわけにもいかなくて。そもそも『異性として好き』ってことからして良くわからないんだ。そりゃ真吾のことは好きだよ? ちっちゃな頃から、ずっと一緒に遊んでたんだしね。でも、その好きは、やっぱりなにか違うんじゃないかって思うし」
母さんは相変わらずニコニコと、お茶を飲んで聴いている。
「真吾は大事な友達だからさ。そっとしておいて欲しい」
「わかったわ。琴実さんには私から伝えておくわね」
ようやく理解してくれたかな。
「でも、許嫁ってシチュエーションは、なかなか捨て難いのよねぇ。ほら、赤坂さん家と親戚同士になるって素敵じゃない?」
納得したかに見えた母さんだったけど、まだ未練があるらしい。
そう言うと、人差し指を顎にあててウインクしてくる。
「それなら瑞穂がいるだろ? 別に俺じゃなくってもさ。瑞穂なら真吾のこと好きなんだし、よっぽど問題ないんじゃない?」
「でも、瑞穂ちゃんに無理強い出来ないし」
をぃ。俺には無理強いしてもいいのか!?
「ふふふ。嘘。嘘よぉ〜。ごめんねさくらちゃん。許して〜。ね?」
「……別にいいけど」
「ありがと。さくらちゃん優しいわね」
そりゃ、母さんのは今に始まったことじゃないし。
「はい。後片づけ終わり〜」
最後のお皿を食器棚に直してから手を洗う。
「ご苦労様」
「あ。お風呂、最後でいいから」
「そぉ? それじゃ、瑞穂ちゃんの次はお母さんが入って、その後ね」
「うん。上がったら教えて」
「はいは〜い」
世間一般の母親像とは、メートル単位でかけ離れた返事を聞きながらキッチンをあとにする。
「そうそうさくらちゃん」
「なに?」
「異性として好きになるってね。ドキドキするのよ。胸がキュゥ〜ってするから。すぐわかるわよ」
「……うん」
「じゃ一時間くらいでお風呂空くと思うから、ゆっくりしててね」
「は〜い」
階段を上がる最中に母さんの言葉を考える。
だから。まだ女の子相手にドキドキするんだけどなぁ。
こんなの普通はわかんないものだろうから仕方ないけど、母さんが思ってるほど簡単じゃないんだよ。
俺の場合はね。
ま。考えに考えて、考えても仕方ないって結論に達したから、思い悩むことを保留にしてるんだけどね。
気持ちなんて、なるようにしかならないでしょ。うん。
「でもこれってなんの解決にもなってないんだけどな」
なんだか情けなくなって大きく嘆息した。
「はっ!」
庭先で空手と合気道を混ぜたような演武で体を動かし短く息をつく。
食事の後片づけを済ませてから、お風呂までの空き時間に、鈍ってた体を動かすために庭で基礎訓練を始めた。
最初はぎこちなく感じた体の違和感が、しばらく型を繰り返すうちにいい感じになってくる。
左の手刀から始まり、水月蹴り決める得意のコンビネーションを繰り返す。
ステップやフェイクを混ぜて、より実戦に近い形に変えていく。
小一時間ほど休み無く続けると全身汗だくになっていた。
最後に深く息を吸い、ゆっくりとはいて姿勢を正す。
それから短く深くを繰り返して呼吸を整えていると縁側から拍手が聞こえてきた。
「と、父さん?」
「なかなかのものじゃないか」
感心したように微笑む。
「いつから見てたの?」
「ついさっきから。風呂空いたぞ」
「うん。ありがと」
「合気道やってたんだったな」
「うん。ここ一年の間だけどね。部活で響にみっちりと鍛えられたから」
「……ひびき?」
「あ、友達。九條響って言って、あの九條グループの子なんだ。響は小さい頃から合気道やってたらしくって女の子なのにすごく強くて……父さん? どうかした?」
話しの途中から表情を曇らせる父さん。
「……いや、そうか。その子と友達になったのか」
「うん。家にも何度か遊びに行ったんだけど、もうすっごい豪邸でさ。圧倒されっぱなしだったよ」
「……そうか」
「でもさ、あんまり広い家ってのも、なにか落ちつかないね。掃除も大変そうだし」
あれ? あははって笑う俺の言葉は、父さんには届いていないように感じる。
「どうかした?」
「……いや。早いとこ風呂に入れよ。風邪ひくぞ」
「あ。うん。ありがと」
なんだろ? 途中から父さんの様子が変だったけど。
……いいか。仕事のこととか色々あるのかな。
「あれれ? お姉ちゃん今からお風呂?」
着替えを手に階段を下りようとするところで、不意に瑞穂が部屋から出てきた。
「うん。そうだけど」
「ねぇねぇ」
「だめ」
嫌な予感に押されてとにかく却下してみる。
「瑞穂、まだなにも言ってないよ!」
ぷぅっと膨れる瑞穂。
「じゃぁ言うだけ言ってみな」
「ねぇ。一緒にお風呂入ってもいい?」
「だから、だめ」
「えぇ〜なんでなんで〜?」
ダンダンっと地団駄を踏む。
「恥ずかしいからに決まってるだろ! それにおまえさっき入ってたじゃないか」
「だって、気になるもん。お姉ちゃんの身体」
指をくわえてジトっと睨む瑞穂。
その視線を受けて思わず苦笑してしまう。
ふむ。俺の身体については、元が男だっただけに事情を知る人には興味の対象になるってことはよくよくわかっている。
それが少なからず不快だったんだけど、こうもあからさまに言われると、いっそ清々しくさえ感じるな。
相手が瑞穂だからってこともあるんだろうけど。
「なるほど。わからないでもないんだけどな」
「ね? いいでしょ」
「……やっぱだめ。それとこれとは別」
「えぇ〜」
「別に変なところはないと思うぞ」
医者にそう言われただけで、自分ではわかんないんだけど。
「……」
うつむいて考え込む瑞穂。
「おまえは恥ずかしくないのか?」
「う〜ん……お姉ちゃんなら平気。ちょっとは恥ずかしいけど、女の子同士なんだし」
「まぁ、それはそうなんだけどね。俺は恥ずかしいの。だからだめ。わかった?」
「う〜ん……じゃぁさ。ぎゅぅってして?」
「へ?」
「ちっちゃな頃みたいに瑞穂のことぎゅぅってして? ……ね。お願い……お、姉ちゃん」
「……」
なに考えてるんだ、とも思ったけど、どこか泣きそうな瑞穂の顔を見たらそれくらいいいか、と思えた。
黙って着替えを床に置いてから、頭と腰を抱き寄せる。
「あっ」
小さく漏らた瑞穂の声が、振動として直接胸に伝わってくる。
まだお互いに小さかった頃は、泣いていた瑞穂をこんな風に抱きしめて慰めていたことがあった。
でも、成長するにつれて瑞穂も泣かなくなって、いつからか直接触れることはなくなっていた。
だからなのか、懐かしさと、どこか安堵感が体いっぱいに広がっていく。
「う〜。やっぱりお姉ちゃん胸おっきいね〜」
身長差から胸に顔を埋めた瑞穂が上目づかいで見上げてくる。その僅かな動きに乗って、瑞穂からお風呂上がりのいい香りがした。
「ん? まぁな」
瞬間恥ずかしかったけど、今はそれよりも包み込んでる愛おしさの方が強くなってる。
……これも母性本能なのかな?
「それに、ちゃんと女の子の身体なんだね。柔らかい」
「そぉ?」
「うん。前と比べるとね。やっぱり違ってる。やっぱり『お姉ちゃん』なんだね」
「……ごめんな」
髪を優しく撫でてやる。
「謝らなくてもいいよ。お姉ちゃん大変だったんだし」
「色々迷惑かけるかもしれないけど……」
「いいよ。今までは瑞穂が迷惑かけてばっかりだったから、そんなことは気にしなくても。だって、お姉ちゃんも大好きだから」
「そっか。ありがとな」
「うん。じゃ」
照れ笑いで、そっと身体を離す瑞穂。
「おやすみなさい。お姉ちゃん」
「あぁ。おやすみ」
瑞穂は頷いて自分の部屋に戻って行った。
着替えを拾って階段を下りる最中に、なんだか急に恥ずかしくなる。
………。
まぁ。姉妹なんだし。別におかしくないか。
……ないよな。うん。
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