Chapter. 6

Misfortune
不幸 5





 
   

廊下に窓越しの木々の柔らかな木漏れ日が映しだされる。
ゆらゆらと風にゆらめくまだら模様を踏みしめて、未央先生の後ろをついて教室に向かっていた。

「どうしたんです?」
「ん? なにがだ?」
少し前を歩いていた未央先生が振り返る。

「なにか楽しそう……に見えるんですが」
なんとなくなんだけど、その軽い足取りや、時折見せる笑みが気にかかった。

「楽しそうか。ふむ。そう見えるか」
軽い歩みはそのままに、未央先生は少しだけ自嘲気味に微笑んだ。

「なんとなく、なんですが」
「いや、気にしないでくれ。大したことが理由ではないし、これは私の個人的な問題だ」
「そ、そうですか」
なんなんだ、その個人的な問題って。その『理由』って『俺』じゃないだろうな。

未央先生の少しだけ硬質な靴音が一年A組の前でとまる。
コンコンっと教室の扉をノックして、それからゆっくりと開けた。
授業中だった数学の朝倉先生が、未央先生に気づいて小走りに歩み寄る。

「授業中すみません。朝倉先生、ちょっとお話が」
心なしか柔らかい未央先生の声。

「は、はい。なんでしょう?」
朝倉先生は少し緊張してるみたいだった。
そして、やっと気がついたかのように未央先生の隣に立つ俺を見た。

「ほら、おまえは席に戻ってろ」
そう言って未央先生に背中を押される。
弾みで教室に踏み込み、ちょっとだけ振り向いて未央先生と視線を合わせる。

「あ。ちょっと待て」
手招きに応じて、また扉の前まで戻ると、その手が襟元に伸びて学生服の襟をパチンととめてくれた。

あれ? 確かさっき自分でとめたはずなんだけど。
ふと、さっきの蔡紋とのやり取りが脳裏に浮かぶ。

……へぇ……。

未央先生は満足そうに頷き、『心配するな』とでも言うかのように視線を合わせてもう一度頷いたので、軽く会釈してそのまま自分の席に向かう。

その時、教室内に声になってない小さなどよめきが起こった。
なんだろうと思って見回した中で、クラスのほとんどが……それに、楓ちゃんや茜、桔梗さんもびっくりしたような表情で見つめていた。

(なんだ? って、この恰好か)

その反応にちょっと戸惑いつつも、事情を知ってる楓ちゃんたちに向けて、小さく手を挙げて指先だけ動かして挨拶した。と、楓ちゃんたちはますます目を丸くしてしまった。

(あらら……)
苦笑いしつつ窓際の自分の席に近づくと、今度は火野くんたちが呆気に取られた表情で見つめている。
あは、はは。なにか、マズかったかな?

(ま、まさか、俺が男だった〜なんてことが知れてしまったわけじゃないだろうな?)
そう考えて少しだけ血の気が引く。

い、いや、そんなことはないだろう。
前に未央先生が『大丈夫』と言ってくれたし。

違和感いっぱいの、妙に緊張した空気の中。
努めて何気ない風に自分の席に座った。
やっぱ、この服装って変なのかな?
姿見で見た時には問題ないと思ったんだけどなぁ。

「よ〜し、それじゃ続き始めるぞ」
そんな、ちょっとだけ後悔の念に沈んでいた間に、未央先生の説明はいつのまにか終わっていたらしく、なにごともなかったかのように授業が再開された。

ほどなくチャイムが鳴って休み時間になった。
授業中にもざっと確認したんだけど、もう一度机に置いてあった鞄と持ち物を点検する。
幸いなことに無くなっているものや変わったところもなく、ふぅっと安堵の息を吐く。
ってことは、やっぱり犯人は女の子かな。

「な、波綺さん?」
俺を呼ぶ後ろからの声。この声は火野くん?

「なに?」
「なに……って、やっぱり波綺さんなんだ」
なぜか信じられない風な火野くん。

「やっぱりって。そっか。この恰好?」
「そうだね。ちょっと見違えたよ。どうしたの? その制服」
呆然自失な火野くんに代わり、隣の氷村くんが言葉を繋ぐ。

「う〜ん、ちょっとね」
苦笑いして言葉を濁す。とゆ〜か上手い言いわけが思い浮かばない。一体、未央先生はどう説明したんだろう。
氷村くんの肩越しに、こちらの様子をうかがう楓ちゃんの姿が見えた。

「ちょっとごめんね」
これ以上詮索されないうちに席を外して楓ちゃんのところに向かう。

「まぁ、なんとかなりました」
目の前に来ても言葉が出せないでいる楓ちゃんを安心させるように照れ笑いで説明する。

「うわ。やっぱ、さくらなんだ」
と、横から覗きこむように茜が顔を出す。

「ところで。その反応はどういうこと? どこか変かな?」
ちょっと体を捻っておかしいところがないか確認する。

「ううん。変じゃないよ。さくらちゃん!」
なぜか、ちょっとだけ頬を朱に染めている楓ちゃんが、胸元で可愛い握りこぶしを作って力説する。

「な〜んかさ、さくらってばメガネかけてないし、それに服だけじゃなくて顔つきまで違うんだもん」
「そお?」
メガネは制服と一緒に保健室に置いてきたっけ。

「そうだよ〜」
頭の後ろで腕を組んで笑う茜。
その姿は、ちょっとだけ月城薙を思い起こさせた。
桔梗さんも物珍しげに覗きこんでくる。

「うん。茜と同じってのはアレだけど、それは私も同意見。ちょっとだけ『転校生!?』と思った」
腕組みした桔梗さんは品定めするように頷きながら微笑む。

「いつもと、どう違うのかな?」
制服が違うだけなんだし、そんなに変わって見えるもんなのか?

「さくらちゃんカッコイイ!」
なんか、楓ちゃんの目がキラキラしている。

「身長あるからかな。ちょっとした美少年に化けてるっぽいにゃ〜」
「化けてるって」
どっちかというと、普段のセーラー服の方が化けてるんだけど。

「でも、よかった。さくらちゃん……」
楓ちゃんが学生服をきゅっと掴んで寄り添ってくる。

「……。ありがと」
すぐ下に見える楓ちゃんの頭を撫でてあげると、楓ちゃんは俺の服を両手で掴み、おでこを胸に押しつけてきた。

「この光景は……」
横から困ったような茜の声。
でも、その声はすぐに明るいものに変わった。

「う〜ん、ちょっと面白いかなぁ」
「面白いというよりは、目の毒って感じだけど」
楽しそうな茜と苦笑いの桔梗さん。

なにが面白いんだ? そう思って首だけで周囲を見回す。

………。
………。

面白いのかどうかはともかく、楓ちゃんと寄り添う姿は衆目を一身に集めていた。
廊下で立ち止まって凝視していた女の子と目が合うと、その娘は顔を赤くして走り去った。

「な、なに?」
いつの間にか遠巻きに離れて、みんなと一緒に凝視していた茜に尋ねる。

「え? い、いや〜。なんてゆ〜か、ラブラブオーラで近寄れないとゆ〜か。あはは」
なんなんだ。その『らぶらぶお〜ら』って。

もう一度教室を見回して気がついた。
そうだ、教室で白昼堂々寄り添う学生服とセーラー服のふたり。
事情を知らないと、確かに誤解を招きそうなシチュエーションかも。

「あ〜っと……今日、英語あったよね。辞書、忘れちゃったから借りてこないと。それじゃ」
そう言いわけして、足早に教室をあとにした。





「あ……逃げた」
「まぁ、こんなに注目されてちゃ逃げたくもなるでしょ」
さくらの後姿を見送りながらつぶやく茜に、桔梗が他人事のように答えていた。

「でも、さくらちゃんかっこよかった」
少し、ぽぉっとした表情で、さくらの出て行った扉を見つめる楓。

「楓は〜この『習字に漢詩』状況下でも平気みたいだね〜」
「その言葉……何気にかなり間違ってると思う。でも案外、さくらよりも肝が据わってるのかも。さっきのも狙ってたものだったりして」
「てへへ」
「………」
「………」



教室を飛び出し、そのまま階段を駆け上がって真吾の教室をめざす。
メグに借りを作るのは例の件もあって怖いし、志保ちゃんやちひろさんは三年生だし、さすがにそこまで押し掛けづらい。
颯に借りる手もあるんだけど何組なのか知らない。
と、ゆ〜わけで。消去法からも真吾に白羽の矢を立てた。
まぁ、そんなことを考えつつも最初から真吾に借りるつもりだったんだけど。

真吾のクラスの前まで来て、ちょうど教室から出てきた娘に声をかける。

「あの、ちょっと、いいかな」
「は、はいっ」
俺に気がつくと、その娘はちょっと緊張したように返事した。

……俺の方が下級生なんだから、そんなに緊張しなくても。
と思いはしたけど、口にはせずに用件を切り出す。

「真吾、いるかな」
「あ、はいっ」
「……」
「…………」
ん〜。返事はしたものの、その娘は呼びに行こうとせずに目の前で立ち尽くしている。

「あの、真吾を」
「ごっ、ごめんなさい! 赤坂く〜ん」
心なしか頬を染めながら教室の中に入っていった。
ホント、なんなんだかね。

廊下の壁にもたれつつしばらく待つと、真吾が教室から出てきた。

「よっ」
「なっ!? どう……」
手を上げて挨拶すると、真吾は驚きの視線で俺を指さす。

「まぁ落ち着け」
「ど、どうしたのさ。その恰好」
「これ? これは北倉先輩に借りた」
「借りたって、どうして」
「事情はあとで話すよ。それより真吾。英和辞典持ってる?」
「英和? あるけど……」
「今日使う? よかったら、ちょっと貸して欲しいんだけど」
「あ、あぁ。今日はもう使わないから構わないけど」
「ならお願い」
両手を合わせて頭を下げる。

「いいよ。でも……」
なにか言いよどむ真吾。心なしか心配そうでもある。

「ん? どした?」
「うん、さくらさ、ちょっと、怒ってる?」
「俺が?」
怒ってるって?

「なんとなくね」
「別にそんなんじゃない、と思うけど」
「そう? なら、いいんだけどね。ちょっと待ってて。今持ってくるから」
そう言い残して教室へと戻る真吾。

怒ってる……のかなぁ。自分ではあんまり自覚はない。
でも、確かに蔡紋とのやり取りでは、ちょっとしたことでスイッチが入ったし、真吾が言ったように怒ってるのかもな。
精神的に余裕がないってことかな。
ちょっと気をつけておかないと、周りが見えなくなってるのかもしれない。

「ねぇねぇ。あの人、誰だか知ってる?」
真吾の戻りを待っていると、後ろの方から小さな声で交わされる会話が聞こえてきた。

「あの人って誰よ?」
こっちは、どこかで聞き覚えがあるような。

「ほら、その」
と、誰かが話しているところで振り向く。

「って、メグか」
振り向いた先に……と言っても、割とすぐ後ろに立っていたのはメグだった。

「メグって。ちょっとねぇ、どうしてあんたにそんな気安く……え?」
怒った表情から瞬間、素に戻り、そしてそれは驚きに変わる。
メグの百面相って珍しいかも。

「なっ。あ、あんた……」
真吾といいメグといい、なにをそんなに驚いてるんだか。
いくら男装してるからって、以前の俺を知ってるんだから驚くことはないと思うけど。

「なによ恵。ひょっとして知り合い? ねぇ私にも紹介してよ」
メグの隣の娘が、呆然としているメグの袖を引いて、こちらに視線を送っている。

「はじめまして波綺と言います。メグとは幼馴染みなんです」
現実に戻ってこないメグに代わって自己紹介する。

「こちらこそはじめまして。私は恵のクラスメイトの『雨宮沙也香』って言います」
お互いに名乗りあって、にっこりと笑顔を交わす。

「ちょっと。あんた、なんて恰好してんのよっ!」
自己紹介の途中で、メグから襟を掴まれてガクガクと揺すられる。

「な、ちょっ、ちょっとメグ。落ち着いて!」
「ほら、恵。波綺さん苦しそうだって。手、離して」
雨宮さんが仲裁に入って、メグを引き離してくれた。
助かった……。

「あ、雨宮さん、ありがと……けほっ」
「いいえ〜、それより雨宮じゃなくて、『沙也香』って呼んでください」
「あ、うん。ありがとう。沙也香さん」
「はい。どういたしまして。ところで、波綺さんの下のお名前はなんて言うんですか?」
「さくら? 辞書持ってきたけど」
背後から真吾の声。

「あ、悪い。サンキューな」
「いいよ、これくらい。……あれ? 恵?」
「ちょっと、真ちゃんからも言ってやってよ! この子ったらホント自覚がないんだから!」
「自覚って、なんのだよ」
「〜〜〜っっ! ……はぁぁ、疲れたわ」
がっくりと肩を落として溜め息をつくメグ。

「あの、さくらさんって言うんですか?」
恐る恐る会話に割り込んでくる沙也香さん。

「あ、そうです。波綺さくらです。よろしく」
「綺麗なお名前ですね」
そう言って、にっこりと微笑む。

「どうも。沙也香さんの方こそ素敵なお名前ですよ」
「そ、そうですか?」
ぱぁっと、沙也香さんの表情が輝く。

「はい。もちろん名前だけじゃなくて。沙也香さんご自身も素敵ですけどね……って、いててて」
メグにほっぺをつねられる。

「あんた。いい加減にしなさいよ」
なぜかメグが大変怒ってらっしゃいますよ?

「あの」
苦笑しながらも控えめな声の真吾。

「なに?」
すがるように真吾の方を向く。

「もうすぐチャイムが鳴ると思うんだけど」
「そうだ。じゃ俺戻るから」
三人に手を振って、辞書を片手に教室へと走り出す。

真吾は『やれやれ』といった表情で手を振ると自分の教室に戻っていき、メグは憮然としたままで、沙也香さんは笑顔で手を振ってくれていた。





「ねぇねぇ恵。どうして黙ってたのよ。波綺くん、いえ、さくらくんのこと」
「なにが?」
「もう、人が悪いなぁ。ね、今度正式に紹介してよ。例えば〜一緒に遊びに行くとか。きゃー」
「……まぁ、それは別に構わないんだけど。どうしたの? 突然」
「だって、ちょっと良くない? 私、あ〜ゆ〜人ってタイプなんだ〜。でも、『さくら』って女の子みたいな名前だね。まぁ、さくらくんに似合ってるけど」
「タイプって。なるほどね」
やっと気がついた恵が、気の毒そうな表情で沙也香を見る。

「な、なによ?」
「いい? 沙也香。よく聞いてね」
「うん」
「あれ……女よ」
「ふぅん。女なんだ。なら『さくら』で問題ない……って? ぇ? ……えぇぇぇぇええええ!?」
人が少なくなった廊下に、沙也香の絶叫がこだました。

 
   






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