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Chapter. 6

Misfortune
不幸 9





 
   

まだ幾分肌寒いはずであろう朝の澄んだ空気の中、ゆっくりと深呼吸する。

「ふぅぅぅ」
今日幾度目かの、長い溜め息にも似た熱い息を吐き出した。

てくてくと重い足を動かして学校へと向かう。
気怠い体の芯にこもったモヤモヤとした熱気を換気するように呼吸するけど、一向に熱っぽさは無くならない。
数メートル先の足下しか写さない視野はとても狭く、見えてる範囲の中央付近しか知覚出来ていない。
周囲のざわめきも壁越しのように微かに感じられる。

(こりゃ本格的にヤバいかも)
ともすれば混沌としそうになる思考でそう考え、やっとたどり着いた下足箱にもたれるようにして自分の靴箱を開く。

「……今回はまた一段と調子が悪い」
と、小さな声でつぶやく。
いや、つぶやいた「つもり」なのか、頭に響いた声は耳から入ったモノなのか、もはや自分でも釈然としない。

「うっ……」
下足箱の微かな臭気に吐き気をもよおす。

重くどんよりとした頭とは裏腹に、嗅覚だけはいつにもまして鋭敏なようだ。

あ〜〜。今日はやっぱ休むべきだったかなぁ……。
入学早々入院で休んでた手前、ちょっとくらい無理しても出席しておこうと思ったんだけど。

「……ん?」
手にした上履きの中に違和感を抱き、無意識に逆さにして振ってみる。

パラパラっと微かな乾いた音を立ててなにかが地面へとこぼれ落ちる。
足下に散らばったソレをひとつ摘み、目の高さでしげしげと眺めてみた。

「…………画鋲……だよな」
錆びついた鈍い金色のソレは、確かに画鋲だった。

………………。
あ〜〜頭が回らない……。

今日はバカの日だ。
論理的とか理知的とか、そ〜ゆ〜思考は出来そうにない。

靴を履き替えたあと、深く考えずに足下のソレを全部拾って掲示板のボードの端に並べて刺していく。
ぷす。ぷす。ぷす。ぷすっと。
……あ〜。なんかコレだけで、いっぱいいっぱいだ。

「おっはよ〜さくらっ」
ぽんっと肩を叩かれる。
ゆっくりと振り返った先には茜が笑って立っていた。
「……おはよ」

「今日は髪結んでないんだ? 最初、さくらだと気づかなかったよ」
あははっと笑う茜。

髪? ……そう言えば今日は梳かしただけでなにもしていない。
なぜだか今日は、髪を結ぶと精神的に窮屈な感じがしたから。

「それにメガネもしてないし」
……以下同文。
……そんなことを考えてると、上着のリボンも窮屈に感じてくる。

「………………」
これも……と思って手に持ってみたけど、さすがにマズいかなと思ってやめる。

「どしたのさくら? なんだか元気ないね」
俺の反応に違和感を抱いたのか、茜が表情を探るように覗きこんでくる。

「ん〜〜……ちょっとね」
返事をするのも辛い。

とにかく教室へ行って休もう。
回復しないようなら保健室で休むか……この状態で無事に家に帰れる自信もないし。

「大丈夫?」
「ん。ちょっと支えててくれると助かる……」
「保健室行こうか?」
「……まだ大丈夫」
「そぉ? 無理しないでね」
茜に支えてもらいながら教室へと向かう。
無意識に俯いてるのか、視界が足下しか映さない。

「?」
その足下の視界が急に陰った。

「こいつじゃね?」
嫌悪感を覚えさせる男の声が耳に入った。

「え〜? そうか? なんか写真と感じが違わない?」
無理に視線を上げると、道を塞ぐように四人の上級生とおぼしき男たち。

今の会話はこいつらか。
この四人から、なぜだか無性にマイナス方向の印象を受ける。

「なにか用?」
茜が警戒した声を出す。

茜、緊張してる? そう思って茜の横顔と男たちを見比べる。
茜の知り合いってわけじゃないみたいだけど。
もちろん俺にも覚えはない。

「なぁ? おまえが『ナミキサクラ』?」
不意に呼ばれた名前に一瞬だけ視線に力が入る。

「な? 間違ってなかったじゃねぇか」
「だな〜」
口元に薄ら笑いを浮かべて、男たちは下品な声で愉快そうに笑う。

「へぇ〜。大人しい顔して……ねぇ」
「ばっか、こう言うのが意外とアレなんだよ」
「そう言われると好きそうな顔してるわ」
ぎゃははと笑いながら、人を値踏みするように無遠慮に眺め回す。

背筋に悪寒めいたものが走る。
うぇ、気持ち悪い……。
……不快だ。
目の前から消えて欲しい。
闇雲になぎ倒したい衝動を抑えて睨み返す。
直後に予鈴のチャイムが鳴った。

「まぁ、お楽しみは後ほどってことで」
「じゃぁね『サクラ』ちゃん」
パシッ!
気安く肩を触ろうとした男の手を払いのける。
手を離した鞄が一瞬遅れて足下に落ちた。

「ぁんだ、てめぇ!」
頭上に降りかかる声を流して、足下の鞄を拾うとゆっくりと顔を上げる。
前髪越しに相手の体が、腰、胸、顔、と順番に視界へと入ってくる。

「っ!」
目があった瞬間。相手が息を飲むのがわかった。

「ぎゃはは、振られてやんの」
「う、うるせぇ!」
「おら行くぞシン」
「でもよぉ」
「言ったろ? お楽しみはあとからだって」
「ちっ! わぁったよ!」
三人にうながされて、シンと呼ばれたヤツは、俺を見下すような目つきで渋々と歩き去った。

「ね、ね? さくらの知り合いなの?」
男たちが立ち去るのを見送りながら茜が不安そうに聞いてくる。

「いや、知らない」
「そ、よかった。でも、嫌な感じだよね〜。あんなのが一緒の学校なんてなんかサイアク」
茜の感想に頷きながら、頼りない記憶を探ってみる。

……だめだ。思い出せない。
やっぱり知らない奴らだと思うんだけど、向こうはこっちの名前を知ってた風だった。

そんなことを考えつつ教室に入り、周りの声に適当に挨拶を返して、重い足を引きずるように席に座る。
そこで、糸が切れたように机に突っ伏した。
ダメだ。限界かもしんない。

もう一度だけ記憶を手繰ってみる。
さっきのは誰だったか。やはり知った顔は無かったと思う。
なんかムカツク奴らだった。
そういや、あとでなんとかと言ってたのは、どういう意味だったのかな。
うぅ〜、考えるのが面倒だ。……まぁ、どうでもいいや。

「波綺さん、具合悪そうだけど大丈夫?」
「……ん」
氷村くんが話しかけてくるのに適当に答える。
火野くんや水隈くんにも何度か話しかけられたけど、生返事しか返さない俺の応対に諦めたようだった。



一時限目の英語を机を睨み付けながら乗り切る。
このままお昼までなんとか……と思ってたけど、異変は二時限目に起こった。

ふと気がつくと周囲が静かにざわめいている。
なにごとかと顔を上げると、先生を含めてみんなの視線が集まっていた。

「あなた……どうしたの? 大丈夫?」
日本史の女教諭が心配そうに声をかけてくる。

なにがですか? と声に出そうとして、頬を伝う液体の存在に気がついた。

「え? あれ?」
手の甲で拭ってみたけど、液体は次々にこぼれ落ちていく。

俺……泣いてる?
意識すると視界が一気に潤んだ。
あれ、どうして泣いてるんだ?
思考がパニックする。
おいおい待ってくれよ。ただでさえ頭回ってないんだからさ……。
どうして? なぜ? そんな言葉が頭の中でぐるぐると回る。
とにかく、この状況をなんとかしないと。

「先生。保健室に連れて行きます」
落ち着いた楓ちゃんの声が隣から聞こえた。

「え、えぇ。そうね。お願いするわ」
困惑気味の教諭の声に頷く気配。

「さ。さくらちゃん、立てる?」
気遣うように背中に添えられた手に励まされるように椅子から立ち上がる。
涙を拭って楓ちゃんと視線を合わせると、にっこりとしてあやすように背中をさすってくれた。


「……。で、どうしたんだ?」
泣き続ける俺を見た未央先生の困惑気味な声。
楓ちゃんがエスコートして、椅子じゃなくてベッドの方に座らせてくれる。

「……あの」
自分でもびっくりのかすれた声が出る。
未央先生は黙って頷いて先をうながす。

「……ぐすっ、どうして、泣いてる、んでしょう?」
「……。それを私が聞いてるんだが?」
未央先生の言葉が少し苦笑気味になる。

「なんか、ひっく、わかんない、んです……」
「そうか。え〜っと?」
と、楓ちゃんの方を見て名前を探る未央先生。

「高木瀬です。高木瀬楓です」
「そうか、ご苦労だったな。あとは私に任せて授業に戻っていいぞ」
「でも……、……わかりました。さくらちゃんのことお願いします」
「わかってる」
未央先生は頷いて、楓ちゃんを送り出した。

「ん」
コーヒーが手渡される。
受け取って一口飲む。
……すでにミルクと砂糖は入っていたらしく、ほんのりとした甘さとほろ苦さに涙がでてくる。
って、どうして泣くかな俺。

「で。どうしたんだ?」
同じ台詞をより優しくして聞いてくる。

「理由は……特に、ないんですが」
ずずっと鼻をすすって息継ぎする。

「ほら」
ティッシュを箱で渡された。

ちーーーんっ。
鼻の奥がツンとする。
でも、幾分呼吸が楽になった。

「ひょっとして始まったからかも……」
「始まったってなにが?」
問い返す未央先生を見上げると、未央先生の顔が引きつった。

「?」
「す、すまん。で、なにが始まったんだ?」
「……セイリ……です」
「セイリって生理か?」
恥ずかしくなってコクリと頷くだけにする。

「で。どうした? 辛いのか?」
「はい……」
「薬は?」
「……朝飲みました」
「そうか。そうだな、まずは休んでろ」
「はい……」
カップを返して、ベッドに潜り込む。

「そういや今日はメガネ、してないんだな」
「……窮屈、だから」
「まぁ、元から視力はいいんだ。本来メガネしなくてもいいんだし」
「……?」
「今の方が、私は好きだな」
「…………」
「おやすみ」
そう言って微笑むと、未央先生はカーテンを引いた。
ゆっくりと目を閉じ、不快感と涙を堪えながらも、ほどなくまどろみの中へ落ちていった。



「………………」
目が覚めた。

ちょっと頭が痛い。
泣きながら眠ったからかな。
でも、幾分楽になった。
怠さは残ってるし、お腹はシクシクと疼いてる。
体の芯の熱っぽさは消えてないけど、このくらいなら大丈夫かな。
普通に歩くだけならなんとかなりそう。

「起きたか?」
カーテンを開けると、未央先生が書き物を続けながら声をかけてくる。
「はい……」
「どうだ? 調子は」
「かなり楽にはなりました」
「そうか」
くるりと椅子を回して振り向くと、未央先生が表情を和らげる。

「コーヒー飲むか?」
「……はい。いえ、お茶か水、ありませんか」
「水か」
未央先生は冷蔵庫を開けて、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、カップに注いで手渡して
くれる。
コクコクと半ばまで一気に飲み干すと、やっと一息つけた。

「もうすぐ昼休みだ」
きょろきょろしてると、先読みして時間を教えてくれる。

「波綺を連れてきた娘と、あと何人か様子を見に来てたよ」
「……そうですか」
楓ちゃんたち来てくれてたんだ。
ベッドから降りて、未央先生の隣の椅子に座る。

「いつからだ?」
「?」
「始まったのは」
「あぁ、昨日……いや今日の明け方です」
「そうか」
「ん〜いつもはこんなに酷くないんですけど……」
ふぅっと体の熱を排気する。

「あ〜波綺?」
「はい?」
俯いた顔を少し上げて未央先生を見上げる。

「…………」
なにかを我慢するようにしている未央先生。
やがて、なにかに屈したように溜め息をつくと頭を撫でてくる。
一瞬あっと思ったけど、気持ちいいのでそのまま任せる。

「なぁ? おまえは本当に波綺なのか?」
「??」
「いや、別にニセモノだとか言ってるわけじゃないんだ。ただな……ずいぶん……」
「ずいぶん?」
「……いや、いい。髪、おろしてるところを初めて見たからかもしれんな」
ふぅっと、なにかを自制するように溜め息をつく。

「ん?」
なにを言ってるのかわからず首を傾げる。

「あ〜っもぉ〜〜」
ぎゅっと抱き寄せられる。
柔らかな感触。気持ちいいので、されるがままにする。
だけど、すぐに肩を掴まれて引き離された。

「?」
「……おまえ……本当に波綺か? いやいや。わかってる。わかってるんだが……」
なにか、うずうずしている未央先生。

「ん?」
「だぁぁぁ〜〜ソレはヤメろ!」
「??」
「無自覚か? ソレは無意識でやってるのか!」
「???」
「……自覚してないのなら、忠告しておこう」
なにやら恐い顔で肩を掴んでくる。
目が血走ってるみたいです。未央先生。

「前に、生理の時に友達に隔離されてたと言ってた理由が今わかったよ。いいか、よく聞け」
「……」
真剣な表情の未央先生。

「くっ……」
未央先生が机に手をついて、なにかに挫けそうになってる。

「おまえ自覚ないみたいだが……今の表情……誘ってるぞ」
「??」
「それだっ。その表情! その庇護欲をかき立てつつもメチャメチャにしたくもなるその顔」
顔? 顔って言われても……。

すりすりと自分の頬を撫でてみる。
うん。これもなかなか気持ちいい。

「ほら、自分で見てみろ」
と、手鏡を渡される。

じ〜〜っと自分の顔を見つめる。
う〜〜〜ん。どうなんだろ。
ちょっと涙目っぽいかな。
それに生理のせいか気弱な印象がある。

「どうだ? わかったか」
「??」
正直わかんない。

「……だめか。そりゃそうか、自覚できてりゃ友達とやらも毎回隔離してなかっただろうし」
長い長い溜め息をついた。

「生理中ずっと続くのか?」
「???」
さっきから頭の中に「?」しか浮かんでない気が。

「……。ずっと隔離されてたのかって話だ」
「いえ、初日だけでしたけど……」
「そうか……」
ほぅっと安堵する未央先生。

「そんなに問題あるんですか……」
「あ・り・す・ぎ・だ」
「……しゅん」
「あぁ〜、だからだなぁ」
またも頭を撫でまくられた。

なぜなんだろ?

 
   






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