「……いいねそれ。うん。いいんじゃない?」
箸を持ったままの手を顎に添えて、三年生の舞浜透子(まいはまとうこ)さんは重々しく頷いた。
サラサラのショートカットで切れ長の目は眼光鋭く、バスケ部のキャプテンとしての貫禄も十分にある。
茜の話では姉御肌で面倒見が良く部員の人気も高いらしい。
屈託がない明るい性格で交友関係がやたらと広いと言ってたっけ。
「ふむん。確かに悪くはないかな。いや……むしろ最適かも」
透子先輩を横目に、尾道香澄(おのみちかすみ)会長が真剣な顔でこちらをじっと見つめてくる。
会長……香澄会長は、俺も在籍する料理研究愛好会(愛好会なので会長と呼んでる。結局部活はそこに決めた)の長にして生徒会副会長でもある。
メガネ越しの瞳が怜悧に輝き、才女の雰囲気を持つ香澄会長に見つめられると自然と身体が緊張する。
三年生の知り合いの中でも、ちひろさん、透子先輩、香澄会長は女子としては背が高い。
俺と透子先輩が同じくらいかな。
この身長を見込まれたのか、透子先輩からバスケ部にと熱心誘われてるけど、ことごとく香澄会長によって阻止されてる。
俺自身としても運動部はちょっとね。
練習で休日が潰れるからバイトとの両立が難しいと思うし。
なにより女の子の中でスポーツというのは……。着替えとかもあるし。
「どうですか? 我ながらいいアイデアだと思うんですよ〜」
当の提案者であるコノエは自分のアイデアが好感触なことに満足なのか、晴れやかな笑みを浮かべる。
昼休み。
登校時に偶然会った志保ちゃんに誘われ、今日は三年生の教室で一緒に昼食にすることになった。
こうして、ちひろさんのグループに混ぜてもらうのも今日で四回目になるのかな。
学食に行った生徒を除いた、約半数ほどしか残っていない教室の一角に机を寄せて作られた昼食の席。
その席に、今日はコノエとふたりでお邪魔していた。
香澄会長の右隣に座っている俺から順に、志保ちゃん、ちひろさん、コノエ、飯盛凜先輩、舞浜透子先輩、そして香澄会長と一巡する。
ちなみに茜たちも誘ったんだけど、遠慮するとのことだった。
茜も楓ちゃんも、自分のクラブの部長や会長と同席するのはどうも少なからず緊張するらしい。
しかも、場所が三年生のクラスともなれば、尚更気後れするのかもしれない。
俺もまだ少し緊張するけど、志保ちゃんの頼みはどうも断りきれないんだよなぁ。
しかし、こうして何度も三年生の教室に押しかけるのは、少し図々しい気がするんだけど、そう言ったら透子先輩が
「なに、みみっちいこと気にしてるんだか。文句言うやつがいたら私に言いな。空手部けしかけて、後悔に枕を濡らす目にあわせてあげるから」
とか真面目な顔で言われた。
冗談なんだろうと愛想笑いで返していると、香澄会長が真顔のまま
「あ〜波綺クン? こう見えてトーコはマジでやりかねないから。空手部の主将、麻木くんって言うんだけどさ。トーコの幼なじみで、彼って昔っからトーコに頭があがらないんだよね」
こんなことを、そっと耳打ちで教えてくれた。
そんな席で、最初は大人しかったコノエが唐突に言い出したんだ。
「ねぇミキちゃん。生徒会長に、なってみない?」と。
その言葉に最初に反応したのが透子先輩、そして香澄会長だった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。いきなりなにを……」
あまりにも突然で、ふたりの反応を見てからようやく聞き返すことができた。
唐突な話の展開に頭が付いていかない。
「それはね。ミキちゃんが生徒会長になると、例の噂のこととか、いろいろと問題が解決すると思うの」
「……解決はしないんじゃないか? 逆に注目を浴びて悪化しそうに思うんだけど」
「それは大丈夫。あのね。噂なんかミキちゃんのことを知っていれば、単なる中傷だってことはすぐにわかると思うの」
「……どうだか」
「もう、疑り深いなぁ。現に先輩たちだって信じなかったでしょ?」
「……」
見回してみると、先輩たちはコノエの言葉を肯定するように頷いてくれる。
例の噂……売りをやってるだの、襲われたことがあるだのとかいった醜聞について、深く説明はしてないんだけど、志保ちゃんとちひろさんは噂よりも俺を信用してくれた。
ほかの先輩たちも「ま。ちひろや志保が信用してんなら問題ない」って言ってくれたのは嬉しかった。
「だからね」
コノエの声で現実にかえる。
「いっそ生徒会長になって、みんなにミキちゃんことをよく知ってもらえば、噂なんてすぐに消えちゃうと思うの。それにね。噂を沈静化させるためには、権力を持つことが手っ取り早いと思うのよ〜」
「権力って……」
なんか、すごーく嬉しそうだなコノエ。
「そうねぇ。例えば、なんだけど。普通の生徒を公に批判することよりも、生徒会長のことを批判するほうが敷居は高いと思うの。その内容に根拠と証拠がないのなら尚更ね。だから、まずは生徒会長になって、政治的な力で噂を表面上だけでも沈静化させて、その後で、ゆっくりと誤解を解いていけばいいと思うのよ〜」
「あら、それなら私も応援しますよ」
「もちろん、あたしもさくらちゃんの味方だからね!」
ちひろさんと志保ちゃんがコノエの提案に賛成する。
どうして、みんなここまで乗り気なんだ。
ってか、当事者であろう俺だけが置いていかれてる感が……。
「んで。九重的に勝算はどうなのよ?」
これまで成り行きを見守っていた飯盛凜(いいもりりん)先輩がコノエに尋ねる。
髪は長くもなく短くもなく。身長は高からず低からず。
言い様は悪いけど、個性的な部分が少なくて、どこにでもいる女の子って感じの人だ。
「正直、蓋を開けないとわからないんですけど……」
「またまたぁ。さっき九重さ、生徒会長に『なってみない?』って聞いたっしょ。立候補しない? とかじゃなく」
「そうでしたっけ? モリリン先輩の聞き間違いじゃないですか?」
「ううん、確かに言った」
にっこり笑うモリリン先輩こと凜先輩。
「うぅ。まぁ、勝算は……ありますよ? 提案するからには、それなりに」
「よし、聞かせてもらおーか。はい。みんなご静聴〜」
モリリン先輩の声に、みんながコノエを注視する。
「え〜勝算と言うか、勝算を上げる要因はみっつあります。ひとつ目は、例の噂などで現在衆目を集めていること。まぁ良くも悪くもなんですけど。そこはそれ、どうとでもなりますしね」
……どうとでもなるもんなのか?
だったら苦労はしないんだけどなぁ。
「ふたつ目は、ルックスが申し分ないこと。ほらそこのミキちゃん、嫌な顔しなーい。人はまず見た目が一番。その点ミキちゃんは合格点ね。女の子受けするタイプなのも好都合よ」
……好都合って。
「最後は……お姉様方の存在です」
「ウチら?」
透子先輩が自分を指さす。
「そうです。先輩方の助け……有り体に言えば、その影響力を利用しての根回しとか協力が得られれば問題ないかな〜と」
「なるほど、ね。でも、本当にそれだけで大丈夫なん?」
モリリン先輩の問いにコノエが余裕たっぷりに答える。
「大丈夫じゃ、ないですね」
と、相反する答えとは裏腹に、にっこりと微笑むコノエ。
……おいおい、さっきと言ってること違うんじゃないか?
「それじゃぁ計画的にマズイんでないかい?」
「いやいや、下地としては十分すぎですよ。まだ時間もたっぷりありますし、いろいろ手を打つ余裕も十分あります。むしろスタートの条件が恵まれすぎてて、ちょっと物足りないくらいです。えへへ」
「ほほう。言うねぇ九重」
「もう。言わせたのはモリリン先輩ですよ〜」
笑うふたりの間に見えない緊張感が漂ってる気がする……。
それはともかく。このままじゃ本当に立候補させられそうな雰囲気だ。
コノエには悪いが、それはかなり避けたい。
「なれるなれないの前に、お……私は生徒会なんてやったことないし、ましてや会長なんて務まらないと思うんだけど……」
「大丈夫よミキちゃん。私も副会長になって手助けするつもりだし、生徒会の業務なんて最初は私に全部任せちゃってもいいんだから」
「……ならコノエが会長やればいいじゃないか。なんなら俺が副会長でもいいし」
そうだ。それがいい。
我ながらグッドアイデアだ。
でもそのアイデアは一瞬で否定される。
「もう。それじゃ意味ないでしょ? ミキちゃんの立場を良くするためのアイデアとしての立候補なんだから。ミキちゃんが会長になることが第一。で、生徒会業務は追々こなせればいいんだから」
「で、でも、学校のことをよく知らない一年生が会長ってのは無理があるんじゃない?」
「まぁまぁ。ミキちゃんなら上手くやれるってば。私が保証します」
無闇に自信たっぷりなコノエの言葉に、ただただ呆れてしまう。
なにを根拠にしての自信なのか。
訝しく思うものの、コノエがヴァルキュリアで発揮した能力の一端から推察すると、何らかの裏付けはあるんだろう。
それでも、それが俺のことを保証するとなると、途端に胡散臭く思えてしまう。
コノエと親しくなって間もない上に、情けない姿しか見せていないだけに。
まぁ、コノエが俺のために言ってくれているのはわかる。
わかるんだけど、その辺の理由も含めてなんか釈然としない。
「ちょっといい?」
透子先輩がピッと右手を挙げて発言許可を求める。
「はい。透子先輩どうぞ」
コノエの言葉を受けて、コホンと咳払いして話し始める。
「さっき根回しって言ったよね。応援するのはヤブサカではないんだけど、露骨にさ、部員たちに投票を求めるっつーのは柄じゃないって言うか、やりたくないな。あたしは」
「それはもちろんです。透子先輩たちにお願いしたいのは、自分は『波綺さくら』を応援していることをそれとなく話していただくことと、ミキちゃんについて聞かれたら思っていることを正直に答えること。あとは、応援演説くらいですね。私がやれればよかったんですけど、副会長に立候補するんで。この辺をお願いしたいんですが、どうでしょうか?」
「応援演説はアレだけど、それくらいなら、まぁ問題ないかな」
頷く透子先輩。
「なら、応援演説は私が引き受けますよ」
ちひろさんが微笑む。
「いいんですか? ちひろ先輩なら願ったり叶ったりですよ〜。ぜひ、よろしくお願いします!」
「…………」
トントン拍子に話がまとまっていく。
(うぅ。やだなー。やりたくないなー)
しかし、もうそんなことを言える雰囲気じゃなかった。
曲がりなりにも俺のために考えてくれてるんだし、ここで断るには、すでに時機を逸した感が強い。
なにより。香澄会長が乗り気な時点で俺に選択肢はないしな。
とほほ。
「波綺クン波綺クン」その香澄会長に袖を引かれる。
「な、なんですか、会長?」
ズイっと差しだれるヨーグルト。
「波綺クンのために買ってきたの。食べてみて」
天使のように微笑む会長。
口調がころころと変化する香澄会長だが、この『優しいお姉さん風』の時は、決まって頼み事という名を借りた命令であることは学習済みだ。
「ココア……ヨーグルト? パイン味……期間限定マカダミアナッツクラッシュ配合。※遺伝子配合コーンは使用しておりません。……………………」
いろいろ突っ込みたいところだが、なにからどうしたものやら……。
視線を香澄会長に戻すと、一緒に貰ったのであろうスプーンを差し出された。
食えってことなんだろうな。会長命令として……。
「またおまえは、そんなキワモノばっか買ってきやがって」
透子先輩がココアヨーグルトを手にとって、しげしげと眺める。
「またヘンなの買ってきたんだ」
フォークを口に当てて志保ちゃんが苦笑する。
「そこ。ヘン言わない。こういう地道な探求心と好奇心が、我が料理研究愛好会には必要不可欠にして必須スキルなのだよ志保会員。で、だ。食べてみて波綺クン。遠慮しなくていいから」
香澄会長が透子先輩の手から奪還したヨーグルトを再び俺の手に握らせる。
「あー……はい……」
にっこり笑う香澄会長に見つめられながら上蓋をピリピリと開ける。
茶色くてドロリとしたものからフルーティーな香りが漂ってくる。
……かなりの違和感を押さえ込みながら、茶色いペースト状のものをすくったスプーンを口に運ぶ。
「どお?」
興味津々な様子で尋ねる透子先輩。
(……あれ?)
予想外な味に戸惑い、もうひと口食べてみる。
「ん、意外とおいしいです。かなり予想外ですけど」
「なに!? 香澄レーダーにかかったものがおいしいわけないだろ」
と、スプーンを奪った透子先輩がヨーグルトをすくって口に運ぶ。
……うぁ。それって間接キスじゃ……。
「うぉ? マジで悪くないな。予想外に」
カップとスプーンが次々に回され、みんなが試食していく。
「あれ? さくらちゃん、なんか顔が赤いよ?」
志保ちゃんの手が額に伸びる。
「あ、うん。なんでもないよ」
……そうだ。そうだよ。
女の子どうしなんだし、間接がどうとか気にする方がおかしんだ。うん。
「香澄がアタリを引くなんて、なんの前触れなのかしらね」
ふふ、と微笑むちひろさん。
「吉兆か凶兆か。これはさっき話してた生徒会のことを暗示してるのかも。私は吉兆だと見たね。波綺が生徒会長で九重が副会長。女性政権の確立なんて、高校最後の一年が楽しくなりそうでもあるしね」
モリリン先輩がニヤリと笑う。
「今年は、期待の新鋭波綺クンが三人の会員(※1)を連れて入部してくれたし、これで生徒会長になって入会希望者が増えれば、いよいよ我が料理研究愛好会も念願だった料理部に昇格する時期がきたのかもしれない……」
なんか香澄会長の目がキラキラしてる。
「香澄ちゃん香澄ちゃん。ならさ、パティスリー部にしようよ。名前」
同じ料理研究愛好会である志保ちゃんの目も輝いている。
「菓子職人育成部なんてどうだ? 試食は我が女子バスケ部が専属契約してもいい」
例に漏れず甘党な透子先輩。
「デパ地下スイーツ研究部がいいと思う。それなら入会してあげてもいいし」
部活はしない主義と公言しているモリリン先輩。
「ペシェミニョン部なんてどうかしら?」
唇に人差し指をあてたちひろさん。
志保ちゃんの提案を皮切りに、みんなも好き勝手に命名を始める。
「はいはい。みんなお菓子系から離れるように。部の名前は新会長……いや、新部長に一任することにします」
香澄会長にポンと肩を叩かれる。
「え……えぇ!?」
「私の後継者は波綺クンに決めたから。生徒会会長(予定)にして料理部(仮)部長兼任。予算取り放題。権力使い放題。部員入り放題で文化部を掌握できる。ふふ、ふふふふ」
か、香澄会長が壊れた?
「予算か。なるほど……それならさくらを会長にすると、ウチの部にもメリットがあるわけか……。よし、運動部はあたしに任せておけ。全面的にバックアップしてやろう」
「ありがとうございます〜。これで生徒会選挙は盤石です〜」
透子先輩の言葉にコノエが嬉しそうに手を合わせる。
……生徒会選挙に出ることが、いつのまにか決定事項になってしまっているのは気のせいであって欲しい。
マジで俺が生徒会長なんてものに立候補するのか?
そう考えると不安だらけだけど、心のどこかで『まぁいいや』と思ってる自分がいる。
だからこそ、強く反対できずに流れに任せてしまったんだと思う。
みんなが望むなら。
変な噂が流れて学校での立場が悪い俺に対して、変わりなく良くしてくれる人たちが望むのなら、生徒会長くらい立候補してもいいかなって。
当選するとは限らないし、恥をかくだけかもしれないけど。
どう転んでも、落ちるとこまで落ちてる今なら失うものは少ないだろう。
それにコノエの言うとおりなら、今の状態を抜け出すには生徒会長になってみるのも良いかなって。
ま。やるだけやってみよう。他にやることもないしね。
「さくらちゃん、元気なかったね」
一年生ふたりが自分たちの教室に戻るのを見送って志保がぽつりと呟く。
ちひろは親友のその言葉に視線を合わせて小さく頷いた。
「でもさ、割と平気そうにも見えるけど。実際のとこ被害と呼べるようなものは根も葉もない噂だけなんだろ?」
しんみりしているふたりの沈んだ雰囲気を吹き飛ばすように明るい声を出す透子。
しかし、その言葉は思惑とは裏腹に微妙な空気をもたらした。
「……トーコは知らないから、そんな気楽に言えるんだって自覚しておいた方がいい」
と、たしなめる香澄に透子はすぐさま反論する。
「なんでだよ〜。そりゃ詳しくは知らないけどさ。要約すれば根も葉もない噂なんだろ? 結局さ」
「ま。それはそうなんだけど。その噂を真に受けた男どもがちょっかいかけてくるらしいのよ」
「そんなもん相手にしなきゃいいじゃんか」
「そりゃぁね。無視すれば引き下がってくれたり、話してわかるくらいなら噂を真に受けたりはしないでしょ。思い込みの激しい連中から実力行使されたりってのも、あったみたいなんだよねぇ」
二週間ほど前、さくらの身になにが起きたのか。
学校側と関係者には箝口令が敷かれてはいたが、それも「噂」のひとつとなって流れてはいた。
しかし、男子生徒を中心として流れている類の内容ゆえに女子生徒の多くは詳しくない。
特に、さくら本人の関係者ならば尚更のことで、直接話を聞いているちひろと志保を除いては、噂以上のことは知り得てはいなかった。
「もし、それがマジなら『事件』になってるだろ。停学や退学になったって話も聞かないしな」
バスケ部キャプテンの透子は、その立場上、生徒間に流れている話の多くが自然と耳に入る。
その自分が知り得ていないことに対して、懐疑的になるのも無理がなかった。
ちひろと志保も、この件については仲が良いクラスメートに対しても黙して語らなかったために真相を知る者は多くない。
「まぁまぁ。私が思うに香澄もトーコも間違ってないね」
飯盛凛が友人たちの会話の内容を裁定する。
「どういうこと?」
香澄の問いに、凛は少し考えながら指先で顎をつまむ。
「そうだねー。つまり手を出してきたのもいたけど、事件にはなってない。いや、してない……かな」
「モリリン。なにか知ってんの?」
「いや、予想だけどね。志保たちの態度、香澄の言葉、そしてトーコの耳に入っていない情報って部分から導き出したんだけど……。ま、予想は予想でしかないから。話半分以下ってことで。実状はちひろとかの方が詳しいんだろうけど、この件で発言する気はなさそうだからね」
凛の視線を受けたちひろは小さく肩をすくめる。
「わぁった。つまり微妙でデリケートなモンダイなワケね。要するにだ、王子様には、これまで通り普通に接しとけばいいんでしょ?」
「そうね。ウチ(料理研究愛好会)のホープなんだから大切にね」
「そう言う香澄自身が実験台にしてるから説得力ないけどね」
「あれは「愛」なんだからいいの」
「しかしなぁ、あれだけの逸材、料理研にはもったいない。今からでもバスケ部に入れようかな……あの身長と運動能力は稀少だし……」
「あら。それなら合気柔術部の方が先約ね。さくらさん中学の頃からやってたし」
「トーコもちひろもダーメ。波綺クンは料理研究愛好会の次期会長……いや、部長候補なんだから。それに生徒会長として予算を最大限確保する使命もあるんだから、部活を兼任する余裕なんてありません」
「たまにでいいから貸してよ」
「そこまで言うなら一回につきクレープで手を打とうか」
「ずりぃぞ香澄! あたしら友達だろ? ほら、ちひろも言ってやれ」
「あら、私は直接お願いするから大丈夫」
「ちょっと。そういうのは、ちゃんと会長を通してよ」
「あら、個人的なお願いだから香澄の手を煩わせることもないのよ?」
「うぬぅ。ほれ、志保会員も言ったれ」
「さくらちゃんはモノじゃないんだから貸し借りは禁止です。香澄ちゃんも。わかった?」
「うへぇ。離反されたでござるよ」
「香澄……だからそのエセ浪人言葉はヤメロ」
「浪人じゃない。拙者が師と仰ぐ、まんまるお目々にグルグルほっぺのイナセな忍者言葉でござるよ」
「なにそれ〜?」
「にしては苦し紛れっぽい時のみ、その口調がでるようだけど?」
「なっ。ナニヲ言い出すのやらモリリン氏。拙者は決してそのようなことは誓ってないでござる……よほ〜〜?」
背後に回った透子が両人差し指で香澄の口を横に伸ばす。
「あはは。香澄ちゃん、変な顔〜〜!」
「ハンターッチャーンス!」
凜がその様子を携帯のカメラですかさず撮影する。
「あ。凜ちゃん、それ志保にも写メでちょうだい」
「ひゃへれーっ。はっへにヒャメひへんひゃへぇー」
香澄は凛の携帯を奪おうと手を伸ばしたが、後ろから指で口を抑えられた状態では前に進むことができずにジタバタと暴れるだけだった。
そもそも文化部の香澄が、生粋の体育会系である透子に体力や力で敵うはずがない。
「あらあら。香澄もそうしてれば可愛いわよ」
しっとりと微笑むちひろを香澄が鋭い視線で睨む。
「ひひほっ。ははひはほほはは、ははひひはよっ」
「あははは。なに言ってんのか全然わかんねー」
香澄の顔を左右に揺らしながら透子が豪快に笑う。
「ほーほ! はは、ほほふひほ、ははひへよー」
ずり落ちそうになったメガネを支えて香澄が叫ぶ。
「香澄。よだれよだれ」
「うがぁ〜〜〜!!」
「うわ。香澄がキレた。みんな逃げろ!」
「きゃぁ〜〜」
「あははは」
「凜!さっき撮ったの消せぇ〜!」
「やなこった。んべ〜」
「香澄、大人げないぞ?」
「元はといえばトーコのせいでしょっ」
「香澄はすぐ人のせいにする。そのクセ直したほうがいいぜ?」
「そんなことを言うのはこの口かっ!?」
香澄が仕返しとばかりに透子の口を指で引っ張る。
「ふふ。ははひにひははでははふほへほ?」
ニヤリと笑う透子も再び香澄の口を指で広げる。
その騒動は授業開始のチャイムが鳴り、先生が現れるまで続けられた。
結構な騒ぎなのだが、教室内のクラスメートたちは横目で見ながら笑っていた。
それは、まだひと月も経っていないこのクラスにおいて、ある意味『名物』として認識されていることを物語っている。
彼女たちの行動が好意的に受け入れられているのは、ちひろ、香澄、透子の三人が学校において『有名人』に入る生徒であり、またクラスをまとめる中心でもあることの影響が大きい。
ゆえに、悪い評判ばかりが流れている『噂の一年の女子生徒』が自分たちの教室に来ることについても、内心は別として表だって不快感を表すクラスメイトは皆無だった。
その影響力は、さくらを護る目に見えないチカラとしても作用することになる。
今はまだ、このクラスにだけ影響するものでしかなかったけれど、日を追うにつれて少しずつ学校全体にまで広がっていき、今年の生徒会選挙が例年にない注目を集める大きな理由のひとつになるのだった。
(*1)【三人の会員】
さくらにくっついて入会した、高木瀬楓、火野純平、水隈太史の三名です。
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