「なにか考えごと?」
自分たちの教室へ戻る途中、並んで歩いていたコノエが耳元で囁いた。
「ん?……別に」
吐息のくすぐったさに肩を竦めながら曖昧に返事する。
考え事と言うか、もやもやした感じを自分自身にもうまく説明できない。
それにしても……
露骨なのは少ないものの、まとわりつくような視線が神経を逆撫でする。
昔のように感覚を閉ざして無視できたら楽ではあるんだけど……
そんな思考を読みとったのか、コノエがぽんっと肩を叩いた。
視線を合わせると『そんなのは気にしないで』と首を振る。
「やっぱり、まだ、乗り気じゃないみたいだね〜」
……この言葉は、さっきの生徒会のことを言ってるんだろう。
そうあたりをつけて、静かに頷く。
「……まぁね。突然すぎたし、納得するにも少し時間がかかるさ」
あの場では一応は納得したものの、時間が経つと気持ちが揺らいでくる。
「ごめんねミキちゃん。唐突に思いついたものだから」
照れをごまかすように舌を出したコノエが困ったように苦笑する。
しかし、すぐ真面目な顔に戻ると、『でもね』と言葉を続けた。
「妹さんもココ受けるかもしれないんでしょう?」
何を言い出すんだか。
話の脈絡が見えなくて黙ってコノエを見返す……が、直後に言わんとすることに思い当たった。
そうだ、瑞穂は光陵高校を受験すると言ってた。
ならば、来年から同じ高校に通うことになるかもしれない。
この状況が一年先まで続くとは思いたくないが、俺のせいで瑞穂の立場が微妙になるのは不味い。
兄……姉としての立場もあるけど、それ以前に瑞穂までが襲われたらと思うと血の気が引く。
と、すると。
突拍子もないと思っていたコノエの提案は、現状の打開策としても一年後の立場補強としても理にかなってるんじゃないのか?
一般生徒のまま解決する手立てを考えてもいいけど、万全を期すためには、なるほど権力を持つのが手っ取り早くて確実だろう。
正直、生徒会長にそこまでの権力があるとも考えにくいけど、無いよりはマシだろうし、なによりコノエが手伝ってくれると言ってる。
あの響が信頼し評価しているほどの手腕をコノエが貸してくれるのなら。
一年間という猶予が残されてるなら。
この状況をなんとかできる可能性は十二分にあると思う。
「……コノエは生徒会、やりたいの?」
「私? そおねぇ。ミキちゃんのことはもちろんなんだけど、私自身も生徒会という立場が欲しいの。具体的には、自由に使える教室と、公に人を集められる立場がね」
「なら、やっぱりコノエが会長でいいんじゃないか?」
「私は〜組織のトップよりも、補佐の方が性に合ってるのよね〜。それに、ミキちゃんほどのカリスマ性も持ってないし〜」
「カリスマ性って……」
なんだそれ。
「それはね。今は流石に響ちゃんに敵わないけど、ミキちゃんの求心力もなかなかのものだからね。入学ひと月あまりで下級生の人気を集めてる透子先輩やちひろ先輩、それに現副会長の香澄先輩の協力を無理なく取り付けられてるんだから、もっと自分に自信を持っていいと思うんだけどな。まぁ、残念ながらそれが悪い方に働いてる現状は憂うべきところだけど、黒を白にひっくり返すのはオセロのように簡単な時もあるしね」
「……そういうもの?」
「そ〜いうもの」
コノエは自信たっぷりに微笑む。
「私のことは気にしないで。元よりミキちゃんの力になるためココに進学したんだし、私自身のメリットのために行動してることでもあるんだから」
「俺のためって言うのが、今ひとつ納得できないんだけど……」
「それも私の都合なんだから、ミキちゃんが思い悩むことはないのよ? 私は私のしたいことをやってるだけ。前にも言ったでしょ? この三年間でヴァルキュリアの支部を作るのが目的で、そのためにミキちゃんの協力が必要だし、生徒会という立場も欲しいの。今回の主目的になってる名誉挽回も、その目的の一環としての側面を持ってるから計画に支障はないってわけ」
「計画?」
「目的達成までのアプローチって言えばいいのかな。差し当たっては支部の立ち上げね。人員確保は平行して進めていくとして、育成は実務を通してPDCAで調整していけばいいでしょ。それから軌道に乗ったら次の目標に向けて体制作りを……っと、それはまだ先の話ね」
にっこり微笑むコノエ。
こいつ本当に高校生か? その前に数ヶ月前まで中学生だったんだけど……
しかし、話を聞いてた支部の立ち上げはいいとして。
「ピーディーなんとかってなに?」
「ピーディーシーエー? マネジメントの手法のひとつでPDCAサイクルって言うんだけど、プラン、ドゥ、チェック、アクションの頭文字を取った言葉で、プランで計画して、ドゥで実行にうつすでしょ。その結果をチェックして、アクションの実行で、より効率よく正していくって意味なのよ。生徒会もこれで動かしていくつもりだからミキちゃんも覚えておいてね」
「……はぁ」
まぁ言ってることは当たり前の事なんだろうけど、当選する前から運営方針まで決めてるのは用意周到って言うか、コノエの中ではもはや当選は確定事項なんだと思うと感心していいのか呆れるべきか。
でも、マネージメントって……企業経営とかで使うものじゃないのか?
普通、学校生活で出てくる言葉じゃないと思うんだけど……。
まぁ、響とコノエにとっての学校生活は、組織運用のテストケースを兼ねてるみたいだし、企業経営まで見通すってのはともかく、その視野の広さは見習うべきかもしれない。うん。
「わかった。俺も生徒会選挙に向けて最大限努力する」
「うん。それでこそミキちゃんよね〜。じゃぁまた放課後にね」
コノエは手を振って自分の教室へと戻っていった。
「んで、どうだったのよ?」
「私も聞きたいな〜」
好奇心丸出しなメグとコノエが身を乗り出す。
放課後。
部活へ行く途中で偶然会ったメグに捕まり、半ば無理矢理に人気がない学食のテーブルに座らせられた。
気が付くと、いつ合流したのかコノエもメグと一緒に向かいの席に座っている。
そして切り出された話は先日の日曜日。
そう、例のデートのことだった。
「ミキちゃんったら、私に内緒でしっかりとデートとかしてるのね……」
ハンカチを目にあてたコノエが寂しそうに呟く。
「内緒って言われても……。元はと言えばメグに嵌められて約束させられたようなもんだし、日程も急に決まったから話す機会がなかったってだけで。それを別にしても、みんなに吹聴するようなことでもないだろ?」
「あぁん。もう水くさいなぁミキちゃん。そういうおいしい話はみんなで分かち合うものなのよ〜」
「いや、おいしくないから」
他人のデートの予定とか聞いてどうするんだか……と思ってふと気づく。
情報部たるコノエは別の意味で知りたいのかもしれない。
「とにかく。どうだったのよ? かいつまんで詳しく話すまで解放しないからね」
んふふと、人が悪い笑みを浮かべるメグ。
「あ。そうだ、トールがクッキーありがとうって」
「ちゃんと渡してくれたみたいね。よしよし」
手を伸ばしたメグに頭を撫でられる。
そもそもトールに対するお礼として、メグからクッキーをあずけられた時点で……いや、電話番号を漏らされた時点ですでに、今日のこの時がおとずれることは決定事項だったに違いない。
それに、とてもじゃないが、ここから逃げ出すのは無理そうだった。
逃げられないこともないけど、このふたりを敵に回すことほど危険なことはない。
仕方ないか。
まぁ、別に隠すことでもないし、覚悟を決めて昨日の出来事を思い出しながら、適当にかいつまんで話すとしようか……。
四月の第四日曜日。
携帯を見ると午前十時十分ちょっと。
待ち合わせの時間は十時半。あと五分ほどで着くから大丈夫だな。
時間を確認して、まだ僅かに朝の気配を残す商店街を足早に歩く。
目的地へと近づくにつれ、鼓動が高まっていく。
「……なにを緊張してるんだか」
溜め息混じりに独りごちる。
不意にショーウインドウに映る人影が目に入った。
立ち止まった反動で流れる髪を手で押さえると、目に入った人影も同じように髪を押さえた。
「我ながら……化けるもんだな」
ウインドウに映る自分の姿に感心すら覚える。
真っ白なタートルネックセーターに映える黒髪。
頭には白いニットキャスケット。
胸元には陽光を受けて煌めく銀のアクセサリー。
タータンチェックのタイトな膝上スカートは赤から黒へのシックなグラデーション。
そこからすらりと伸びる、刺繍があしらわれた黒いストッキング。
それと対照的な白のロングブーツに飾られた鈴が、歩くたびにリリンと可憐な音色を響かせる。
肩から下げたプラチナカラーのバッグは、なんとかっていうブランド物。
ちなみにン十万はする代物らしい。
そのほとんどが借り物でコーディネイトされた姿とは言え、まさか自分がここまでドレスアップできるとは思っていなかった
ちょっと腰回りのボリュームが心許ないけど、我ながら遠目には鑑賞に値すると思う。
……近くでは、恥ずかしさと照れが入って、あまり正視できないんだけど。
母さんに初めて化粧されてから約一ヵ月。
回数にして通算三回目になるんだけど、これは実に詐欺臭い。
しかも、今回はメイクに加えて服装すべてをコーディネイトしている分、いろんな意味ですごくなってる。
こうまで見事に化けると、本当に三年ほど前は男だったのか自分でも疑わしくなってきたりしてるし。
それくらい、鏡を見るたびに『自分』を『他人』としてナチュラルに認識しそうになる。全然着慣れない服のせいも多分にあるんだけど。
「……そもそも自分の顔見て他人だと思う時点で、これはある意味病気だな。間違いなく」
ほぅと再び溜め息をつく。
ふと前髪が気になって、ウインドウに近づき指先で軽く整える。
「ん。これでよし」
映った顔が柔らかく微笑んだ。
「……え!?」
ウインドウに映る街並みに違和感を感じて振り向くと、数メートルほど離れて十人近い通行人に囲まれていた。
髪を気にしてる姿が端から見ておかしかったのかもしれない。
そう思うと恥ずかしさから頬が熱くなる。
「あ、あの……」
大学生くらいの男から声をかけられたけど、とにかく居ても立ってもいられず足早に逃げ出す。
「あ!ねぇ、ちょっと……」
なおも呼び止める声に視線だけを向けて頭を下げると、そのまま走るように立ち去った。
うぅ〜〜〜。やっぱりどこか変なんだろうか?
スカートのファスナーもちゃんと閉まってるし、自分ではおかしくないと思うんだけど、やっぱり元が元だけに変な部分があるのかもしれない……。
(くそっ。だからデートなんかしたくないんだっ)
あとで思ったんだけど、硬直しつつ足早にショキショキ動く姿は、我ながらおかしかったんじゃないかと反省することしきりだった。
待ち合わせ場所の広場にトールの姿を見つける。
その周囲にも人待ち顔でベンチに座ってる人や、壁にもたれ掛かって立っている人、そして、足下には我が物顔で餌をついばんでいる鳩たちの群れ。まだ早い時間帯にしては人が多い広場でも、トールの長身と出で立ちは目立っていた。
早いなぁ。まだ約束の時間まで十五分はあるのに。
一張羅っぽい黒のジャケットに身を包んだ姿は、トールの長身も相まって、それなりに格好いい。
しかし、サングラスはいただけない。赤いシャツとの相乗効果でチンピラっぽさが強調される結果になっていた。
「お待たせ。早いね」
五メートルくらいまで近づいたところでトールと視線が合ったので、手を挙げて挨拶する。
「…………」
しばらく見つめ合った後、トールが人違いですと言わんばかりに無言で視線を逸らした。
「……カチーン」
俺が何のために、みんなの玩具にされながら着せ替え人形の身に甘んじつつ、尚かつ一日時間を潰される羽目になってるのかわかってんのかこいつはっ。
「おい。無視するな」
スナップを利かせたデコピンがトールの額に炸裂する。
「痛ぅ! て、てめぇ! ナニしやがるっ…………」
胸倉を掴みかかる手を避けるように一歩下がる。
その怒声に驚いたのか、鳩が一斉に飛び立ち、周囲の人たちがトールを避けるように離れていく。
空を切る腕を伸ばしたまま、トールの表情は怒りから鳩豆な顔へと変化した。
「でもサングラスは、やっぱりダメかな。これは外さないとね」
唖然とするトールからサングラスを外して畳み、ジャケットの胸ポケットにしまいこむ。
「………………」
「いつまで無視してるの? トールが誘ったから来てやったのに、そんな態度取るなら帰るよ?」
「あ、いや、待て。待て待て。ちょっと待ってくれ」
頭を振ってなにかを振り払う素振りを見せるトール。
やけに真剣な顔で視線を合わせると同時に、しっかりと肩を掴まれた。
「おまえ……波綺か?」
「……帰る」
手を振り払って踵を返したところで、今度は腕を掴まれた。
「あぁ〜っ、ス、スマン。いや、無視とかじゃなくてよ。俺はまたてっきり……」
「……てっきり?」
「人違いかと……」
「はぁ? なに言ってるの?」
「そ、そもそもだな。波綺が別人のように変身してるのが問題なんだよ」
「変身?」
なんとかライダーか俺は。
「ほ、ほら。制服以外のスカート姿なんて初めて見たし、そんな私服姿も初めてだし、なによりここまでめかし込んできてくれるとは思わなかったもんで……よ」
語尾がごにょごにょと聞き取りにくい。
「あのねぇ。誰のためにこんな苦労してると思ってるわけ? いいよ。気に入らないなら帰る」
「だから待てって。気に入らないなんて言ってねぇだろうが」
ぐいっと掴んだままの腕を引かれる。ギプスが外れたばかりの左腕を。
「痛っ」
「あ、わ、悪ぃ……大丈夫か?」
手を離したトールがおろおろする。
あはは。ここまで狼狽するトールも珍しいな。
「なんとか。左はギプス取れたばかりで、まだ本調子じゃないんだ」
「……やっぱり波綺なんだな」
「やっぱりってナンだよ」
「なぁ。ちょっと抱きしめていいか?」
「だ〜め。天下の往来でなに言ってるんだ。おまえは」
「確かに声だけ聞けば波綺だ……」
「声だけって……おまえなぁ?」
「だってよ。別人みてぇに綺麗になってっからよ……」
視線を逸らして照れるトール。
その様子を見てると、こっちも気恥ずかしくなってくる。
べ、別人かぁ。まぁ俺自身も鏡に映る自分が他人のような気がしてたくらいだし、無理もないのかな。
「な、なに馬鹿なこと言ってんだか。正真正銘、波綺さくらだよ。OK?」
「お、おう。OK」
波乱含みの一日は、こんな感じで始まった。
四月最後の日曜日。
ギプスが取れて初めての休日は、伸ばしに伸ばしてたトールとの約束を果たすために使うことに決めた。
これ以上延期して催促されるのもなんだか癪だし、約束したことをいつまでも先延ばしするわけにもいかない。
それに、例の事件からこっち、ようやく落ち着いてきて心の余裕が出来たってこともある。
そんなわけで左腕のギプスが外れたことだしと、デートの日取りを決めたのが一昨日のこと。
あとは当日の服装ほかの準備をどうしようかと検討した結果、その道の師である下宿先の先輩方に教えを請うことにした。
デート初体験の身で、しかも女の子側の知識はかなり乏しかったから、心構えなんか聞ければいいかなと思ってたのが甘かった。
電話で済まそうと思ってたら、当日早めに下宿まで来いと言われ、しかもわざわざ車で迎えにまで来てくれた。
どうも先輩方は、俺が普段着で行くだろうと見越してたようで、電話の後でみんなの持ち物からベストなものをチョイスしてくれてたらしかった。
で、下宿先に着くなり、心構えもそこそこに二時間ほどおもちゃにされた結果が今の姿なんだけど、トールの浮かれっぷりを見ると、それも無駄ではなかったようだ。
まぁ、ここまでやって文句でも言われようものなら問答無用で蹴りを入れずにはいられなかっただろう。
しかし、トールの様子を角度で例えるなら、360°ご機嫌だった。
緩みっぱなしの顔だけでなく、後ろ姿だけでも浮かれてるとわかるんじゃないかと思うほど。
こんなトールを見るのは初めてなので、こちらもなんだか嬉しくなる。
まぁ一応これはデートなんだし、浮かれてもらえるのは女冥利に尽きるのかもしれない。
正直、女冥利なんてものに実感は湧かないけど、悪い気がしないのも確かだった。
さて。エスコート役は任せるとして。
どうしようかな? と少しだけ迷って、思い切ってトールの左腕を取って寄り添って歩く。
驚いた表情のトールに微笑み返すと、みるみる顔を赤くして俯いてしまった。
「さ。どこに連れて行ってくれるの?」
そんなトールの様子に笑いを堪えながら、せっかくだから今日はめいっぱい楽しもうと、やけにすんなりと心に決めることができた。
ウインドウショッピングで時間を調節して、封切られたばかりのアクション映画を見た。
そして、ちょっと遅めの昼食兼ティータイムに入ったオープンカフェ。
食後のデザートに選んだストロベリーサンデーをフォークで崩していると、向かいに座ったトールが優しい表情で笑っていた。
「なに?」
「いや……変わったなと思って」
「お……じゃない、私が?」
「やっぱ自分じゃ気づいてないか?」
「いや、今日の姿は自分でも驚いてる。よくもまぁここまで化けるもんだな〜って」
「なんか他人事みたいな言い方だな」
「まぁね。今日デートするって言ったら前の下宿先の人たちがコーディネートしてくれたから。自分で意図的にやったわけじゃないから、我ながら別人のようだと感じてるんだけどね」
「見た目だけじゃなくてさ。なんつーか、ふとした仕草も女っぽいっつーか……」
「それはもう、必死で取り繕ってますから」
少しだけ胸を張って微笑む。
そう。今日はデートなので、これまで躾られた女性としての振るまいの知識を総動員して行動している。
ところどころで粗は出ているんだけど、思ったよりも上手くやれてると思う。
制服の時にも思ったけど、服飾……特にスカートやアクセサリーを意識してる間は割とすんなり演じられる。
とは言っても、今のこの行動が習慣付けされるまでは、まだまだ時間がかかりそうだけど。
「なあ。やっぱり俺と……」
「ストップ。その話は結論を出したはずだよ」
来た。話の流れと空気から、ちょうど『付き合う』ことについて言ってくるんじゃないかと考えていた矢先だった。
「…………」
「蒸し返すのなら、今日はもう帰る」
「ま、待て待て。俺が悪かった。もう口にしないから帰らないでくれ」
静かに席を立つと、トールが慌てて止めに入る。
「うん。よろしい」
「なぁ、本当に他のヤツとも付き合わないんだろうな?」
「………………」
こいつは……舌の根も乾かないうちに。
冷たい視線を向けると、それを否定するように慌てて手を振るトール。
「いや、俺が悪かったってば。でも、気になって仕方ねぇんだ。……そこんところだけでも答えてくれないか?」
慌てながらも、そう言ったトールの表情は真剣そのものだった。
付き合わない理由については話してないので、気になるのも仕方のないことかもしれない。
でも『以前男だったから、まだ男と付き合うことに抵抗がありすぎる』なんて言えるわけもない。
なんとか誤魔化して答えるしかないか。
「……ないよ。付き合うなんて考えられないし、今日のデートだって本当は嫌だったんだから」
「嫌……」
ズドーン。と効果音が聞こえそうなほどトールが落ち込んだ。
「あ、違う違う。別にトールが相手だからって意味じゃなくて、デートって行為が嫌だった」
「だった? ……過去形なのか?」
「ん……。今はちょっとだけ楽しい……かも」
「あはは。そうかそうか。楽しいか」
急にご機嫌になったトールが頭を撫でてくる。
トールの気の済むまでされるがままになりながら、まぁこんなのも悪くはないかなと思った。
ずっとこんな感じなら付き合ってもいいんだけどなぁ……。
トールがいつまでもプラトニックで我慢できるわけないだろうし……。
頭の中で少しだけ未来予想図を描いて、慌ててそれをかき消す。
だめだ。その先となると、やっぱり耐えられそうもない。
問題を先送りするわけじゃないけど、まだまだ時間が必要だと、そう結論を出しながらデザートをかたづけた。
それに気が付いたのは偶然だった。
食後の運動として再びお店を冷やかして歩いていて、視界の端に見覚えがある制服を見つけた。
光陵高校のセーラー服。あのレトロとも言える制服は、この近辺では光陵しかない。
しかも休日。そして光陵高校がある場所は隣の市という立地条件のここで見るとは思わなかった。
だからなのか、車線を挟んだ向こう側、直線距離で三十メートルほど離れた距離から気が付いた。
その制服姿の人影が通りから路地へを消える後ろ姿に違和感があった。
「トール」
「ん? ……どうした?」
「ちょっと気になることが……付いてきて」
トールの手を取り、タイミング良く青になった横断歩道を走り抜ける。
「いきなり走り出して、どうしたってんだよ」
「……うまく説明できないけど、嫌な感じがしたんだ」
路地に入る一瞬しか見ていないのに妙な胸騒ぎがした。
気のせいなら笑い話としてそれでもいい。とにかく確かめないと落ち着かない。
慣れないタイトなスカートに走りにくさを感じながら、光陵の制服を追って路地裏へ入った。
「で、どうだったのよ?」
「もちろん、ナニかあったのよね〜」
続きを促すメグとは対照的に期待に胸をふくらませてるコノエ。
もちろんって……。そりゃぁナニかあったんだけど、もちろんとか言われるのも心外だ。
「もちろんって、九重さんなにか知ってるの?」
メグの問いにコノエは自信満々に答える。
「いいえサッパリ。でも、ミキちゃんトラブル体質だから」
「あぁ。なるほどね〜」
ふたりは頷きながら横目で俺を見る。
「なるほどって、なんなんだよ……」
なんか納得されてるのが心外だ。
「んートラブル『メーカー』じゃないんだけどねぇ。言うなれば、トラブルに吸い寄せられるとでも言えばいいかなぁ」
「あ。それいいです。ミキちゃんトラブルに首を突っ込む方だし」
「別に首突っ込んだりしてない……」
「ミキちゃんはそう言うけど、今の話の展開がまさにそれでしょ? 自ら厄介事に首を突っ込むと言うか、きっと性格的にトラブルを見過ごせないんだと思うのよ。極論すれば『ヒロイックシンドローム(正義の味方症候群)』かしらね」
「それ言えてる。この子ってば昔からそんなだったもの」
「やっぱりそうなんですか〜。三つ子の魂百までってことですね〜」
「………………」
微妙に思い当たる節があるだけに、なにも言い返せずに黙り込まざるえなくなる。
ふと、人の気配に視線を向けると、ひとりの女子生徒が俺たちの席に近づいて来ていた。
制服からすると二年生。するとメグの知り合いだろう……って、あれ? この娘は、確か昨日の……。
「あのっ。あなた……昨日の……方……ですよね?」
まっすぐ俺を見て話す女子生徒。その顔には確かに見覚えがあった。
「あなたC組の江藤さんよね? なに? さくらの知り合いだったの?」
そう問うメグに、女子生徒……江藤さんと俺は無言で頷いた。
「え、ええ。知り合いと言うか……。そっかぁ羽鳥さんのお友だちだったんですね。昨日はありがとうございました。で、そのことなんですけど、あれからどうなったんですか? 私たち、警察を呼んで戻ってきたんですけど、その時にはもう誰もいなくて。ずっと心配だったので、ウチの生徒だって言ってたから手分けして探してたんです」
「そう。心配かけたみたいでごめんなさい。見ての通り問題なかったし大丈夫です」
余所行きモードで話す俺のことを、メグがじとーっとした視線で見てることがヒシヒシと伝わってくる。
「そうですかぁ……安心しました」
胸に手を置いた江藤さんが、ほうっと安堵の息を吐く。
「では、改めてお礼を言わせてください」
「いえいえ。そんなに気にしなくてもよかったのに」
「そんなっ。すごく恐くて、私たちだけだったらどうなってたか……本当にありがとうございましたっ」
ぶんっと音がしそうな勢いで頭を下げる江藤さん。
お礼を言われること自体は悪い気しないんだけど、こんなに畏まってしまわれると恐縮してしまう。
『ありがとうございました』『いえいえ』を数回繰り返していると、呆れたメグが半眼でじぃーっと睨んでいた。
「あんたってば、また……」
「いや、あのね。またって言っても、実際のところトールのおかげであっさり解決できたし、私自身はほとんどなにもしてないってゆーか」
「江藤さん。大体の事情は想像つくけど、よかったら話してみてくれない?」
俺の言葉をあっさりスルーして江藤さんに話しかけるメグ。
……俺って全然信用されてねー。
「あ〜。ぜひぜひお願いします〜」
ふたりの勧めに応じ、隣の席に座った江藤さんが昨日のあらましを話し始めた。
多少、誇張された内容を俺の主観で修正しつつ簡単に説明すると、強引なナンパで困っていた江藤さんとその友人をトールのひと睨みで追い払った。ってなるのかな?
でも、お礼を言われてて、しばらくその場に残ってたのがまずかった。
逃げ出したはずの奴らが、なにを思ったか……って逆襲だろうけど、再び仲間と連れだって現れたんだ。
三人から八人に増えた勢いで因縁つけてくる奴らを足止めして、その間に江藤さんたちには逃げてもらったんだけど。
と、まぁここまでが彼女が知ってる経緯になるのかな。
当然、その先を三人に促され、話を引き継ぐように説明させられる。
「ちょうど警察の人が通りかかってね、奴らが蜘蛛の子を散らすように逃げ出したもんだから当然追いかけられちゃって。そんなわけで、なにごともなく無事に済んだので問題ありませんでした」
まぁ馬鹿正直に話すこともないだろう。無事だったのは本当だったんだし。
「そうなのぉ? ちょっと残念」
本当に残念そうに落胆するコノエ。こいつはなぁ……。
「はぁ、とにかく何ごともなかったみたいで安心しましたー」
江藤さんが再び安堵の息を吐く。
「ま。無事でなによりだったじゃない。ところで、さっきから気になってたんだけど、江藤さん、どうして敬語なの?」
紙パックのオレンジジュースを弄びながら尋ねるメグ。
その態度から、なにごともなかったことが少なからず不満らしいと見て取れた。
「え? あ、あの?」
「恩人とはいえ下級生なんだし、敬語でなくてもいいんじゃない? な〜んて思ったから」
「え? えぇ!?」
江藤さんが俺をマジマジと見つめ、襟のラインの色に視線を向けた。
「えぇ〜〜〜!? あの、ひょっとして一年生だったんですか!? てっきり……」
「まぁ、ミキちゃんは年上に見られがちだからね〜」
コノエがしみじみと江藤さんの言葉に同意する。
「……ま、まぁ良く間違われますが、一年生です」
「こちらこそごめんなさいっ。大人びてたから勝手に誤解しちゃって……。あの、良かったらお名前を教えてもらなえないでしょうか? あ、私はっ江藤直美です。もうひとりは中里優って言って同じC組です」
下級生とわかっても江藤さんの敬語は直らないようだ。
「そう言えば自己紹介がまだでしたね。私は波綺さくらって言います。一年A組です」
「ナミキ……さくら?」
江藤さんが思案顔になり、数瞬後に驚きに変わる。
「あぁ、この娘ってば今は微妙に有名だからね。でも安心して、江藤さん。あんな噂全部デマだから。そこは私が保証するわ」
メグのフォローで、口をパクパクさせてた江藤さんはゆっくりと平静を取り戻した。
「ご、ごめんなさい。でも、羽鳥さんに言われたからだけじゃなくて、私も波綺さんのこと信用します。助けてもらったことももちろんあるけど、あんなことするような人に見えないし……」
あんなことって……。まぁ想像に難くないから聞かないでおこう。
でも、江藤さんの一生懸命なところは好感が持てるなぁ。
昨日の出来事が、より良いことをしたように感じられて嬉しくなる。
「江藤さん、ありがとうございます。信じてもらえて嬉しいです」
微笑み返すと、江藤さんの顔が真っ赤になった。
「い、いえっ。ま、また改めて、優ちゃんと一緒にご挨拶に来ますからっ」
「あ、だから気にしなくて……」
「それではっまた後ほどっ。し、失礼しますっ」
江藤さんは真っ赤な頬を押さえながら走り去っていった。
「……どうしたんだろう?」
「さすがはミキちゃん」
「またひとり毒牙にかけたか……」
「なっ!? なにもやってないだろ? つか今、目の前で見てただろ!?」
「いいのよ〜ミキちゃん。今の調子でやっちゃってくれるといろいろと助かるし〜」
「なるほどね。最近はメガネかけてないから以前より凄味が増してるって感じがするし、それが原因かしら」
「なんなんだよ凄味って……」
相変わらずメグの表現は理解しにくい。
「あんた最近、例の噂のせいか気が張ってるみたいで近寄りがたい雰囲気出してたんだけど」
「ん〜。それは私もちょっと感じてたかな。視線が鋭いって言うかギラギラしてきてた」
「まぁねぇ。予防線張ってたから、そういうことなら自覚あるかな」
ここ最近は無くなったけど、例の襲われた事件のあとも何回か噂を真に受けた奴らが接触してきた。
正確には六回……くらいだったかな。
最初にに遭遇したのは三年生の男ひとりだったので、とにかく無言で対応した。
じぃっと観察すること三十秒ほど。周囲の視線が集まりだしたこともあって捨て台詞を残して逃げ去った。
そのことをコノエに話すと、すぐに対応策を手配してくれた。
その甲斐あってか、二回目以降遭遇したときには、どこからともなく現れた男子生徒たちがそいつらを連れ去っていくようになった。
コノエの話では屋上で襲ってきた男子生徒に頼んで、事件を未然に防ぐよう動いてもらっているとのことだった。
俺に顔を見られないよう配慮していたらしく、コノエの話を聞いてから、その男子生徒らが、あの屋上のやつらだと気が付いた。
まぁ、まだ確かに凝りが残ってるから、今は話したくないし顔も見たくない。
その辺をちゃんと配慮してくれてたのは、流石と言うべきなのかな。
ちなみに、連れ去ったあとどうしてるのか訊くと、なぜか楽しそうに微笑むだけで答えてくれなかった。
まぁどうでもいいことだし、なんだか聞き難い雰囲気だったので深くは追求しないことにした。
……なぜだか、そうした方が絶対良さそうな感じがしたからね。
そのおかげで直接接触はなくなったものの、噂によって全校生徒に顔と名前がかなり浸透したらしく、今もなお廊下を歩くだけでヒソヒソとなにやら囁かれている。
なるだけ気にしないように努めてはいるんだけど、まるっきり無視できるほど達観できてもいないので自然と顔つきが厳しくなっているのは自覚していた。
「でね。その凄味のせいでね、意外と評判いいのよ。主にウチのクラスの女子の間で」
「…………」
「ウチのクラスと、他のクラスでも私の友達には、あんたの例の噂はデマだって説明してるからね。ま、真ちゃんと幼なじみゆえにやっかまれてるって言ったら、みんな納得してくれたし。特に沙也香があんたにベタ惚れで、二言目には『あぁ男の子だったらなぁ』って言うもんだから、みんな興味だけはあるらしくて、休み時間とかにあんたを見たとかどうとかって話題がよくあがってたのよ。んで、微妙に人気が出てきてたりするのよね〜」
そう言ってメグはオレンジジュースを口にする。すぐに空になったのかズズッと残りを吸ってから紙パックを握りつぶした。
「……で、俺はどうすればいいんだ?」
「別に? 悪い方に進んでるわけじゃなし、今のままでいいんじゃない?」
「良かったじゃないミキちゃん。少しずつ信じてくれる人も増えてるみたいだし、これなら意外と楽勝かもね」
コノエがウインクする。
「あら。なにが楽勝なのよ?」
「いや……その……」
「今度、私とミキちゃんで生徒会に立候補しようと思ってるんですよ〜」
あっさりバラすコノエ。待て待て。そんな簡単に吹聴するもんじゃないだろ。
「生徒会? なんでまた」
「名誉挽回の近道として。ですかね〜」
「……ふぅん」
俯いて、なにやら考え込むメグ。
よかった。別に怒られはしないみたいだな。
ちょっと安堵してると、メグが不意に顔を上げて見つめてくる。
なんか小言が来るのかと身構えてると、意外な言葉が返ってきた。
「わかった。私も協力する」
「本当ですか〜。助かります〜。よかったねミキちゃん」
いや、よかったってゆ〜か、メグならここは小言か茶化す場面なはずなんだけど。
「さ。ミキちゃん。そろそろ部活に行かないと」
「そうだね。ちょっと長くなったし、急がないとね」
「さぁて。私も部室に顔出しますかー。んじゃね。さくらに九重さん」
席を立ったメグは振り返らずに手を振ると、足早に去っていった。
「ふむ。なかなか、かな」
満足げに頷くコノエ。
「なにが?」
「ううん。なんでも。さ、行こ」
コノエに促されて、俺たちも調理実習室へ足を向けた。
|