朝焼けの日差しを街路樹ごしにあびながら、一台の乗用車が通学路を静かに走り抜ける。
目にも鮮やかなシャンパンゴールドのボディが、キラキラと朝日を反射させて煌く。
通学する生徒たちの間を抜けて光陵高校の校門をくぐったその車は、ゆっくりと減速しながら正面玄関のロータリーへ進んでいった。
「はい。着いたわよ〜」
ウキウキとはずんだ琴美さんの声。
タイヤが路面を噛む音とともに車は静かに停車した。
「琴美さん、ありがとうございました」
先に降りる真吾を横目に、運転席の琴美さんに頭を下げる。
「あら、気にしなくていいのよ。お礼を言うのは私の方なんだから」
楽しそうな琴美さんに微笑み返しつつ、背後の懸念すべき状況をなんとか胸の内に押し込めながら車から降りた。
「それじゃ行ってきます。母さんたちも気をつけて」
「はい。ふたりとも行ってらっしゃい。留守の間よろしくね、さくらちゃん」
「わかりました。あとのことは気にせずに楽しんできてくださいね」
「ありがとう。お土産期待しててね。では、行ってきまーす」
サッと左手を挙げて、琴美さんの車がハイブリッドカー特有の静かさでロータリーを抜けていく。
校門を出ていくまで見送っていると、登校中の生徒たちの視線が突き刺ささってくるのが感じられた。
それはそうだろう。
車で来たとしても、普通は学校の手前で目立たないように降りるケースが多いと思う。
それを校内の玄関先まで乗り入れ、しかもその車から男女の生徒が降りてくれば嫌でも目立つことだろう。
しかも、ひとりはファンクラブまであるサッカー部の有名人。
もうひとりは噂による悪名高い女子生徒。
その組み合せのインパクトは、なかなかにセンセーショナルなものだろうと容易に想像できる。
本来なら断固として断りたいシチュエーションな登校なんだけど、今回はそれこそが狙いなんだから仕方ない。
「……ごめんな。こんなことに付き合わせて」
ため息をつきながら謝ると、予想外に真吾はすっきりとした笑顔を見せた。
「いや、手伝うって言ったのは僕だし、母さんたちも喜んでるんだし気にしなくていいよ。それに、コレが狙いなんだろ?」
今現在、俺たちが注目を浴びてるってことは当然真吾もわかっている。
それにしても、このプレッシャーは気にならないのかな?
俺としては敵意が少しキツいんだけど……ってそうか、敵意は俺に対してだけで、真吾には向けられてないからかな。
ならいいか。と、思い直して返事をする。
「まぁ、ね。短期間で燻り出すには派手な方がいいからね。でも、真吾にはかなり迷惑かけることになるよ?」
「だ〜か〜ら。僕にも責任の一端はあるんだし、そんなに気にしなくていいって。親友だと思ってくれてるのなら、今更そんな気遣いは無用だって。それに、昔と比べればこんなのは可愛いもんだしね」
「……昔の話は持ち出さないでくれ」
「あはは」
メグとふたりで無茶してた尻拭いをさせてた過去を思うと穴に埋まりたくなる。
取らなくていい責任まで被ってた真吾も真吾だが、そもそもの原因は俺たちにあるので、それについては言葉もない。
高校に入ってまで迷惑かけることになるとは思ってなかっただけに申し訳ないんだよな。
そんなことを話しながら、靴を履き替えるために一旦別れる。
真吾にとって、『今の』俺と一緒にいることは決してプラスにはならない。
俺に関する噂から、少なからず真吾の体面に泥を塗ることになるだろう。
しかし、例えそれでも、真吾は惜しみなく協力してくれることはわかっていた。
だから知られたくなかったし、出来るならば巻き込みたくなかった。
「今更、もう遅いか……」
革靴をしまいながらそっと呟く。
迷惑をかけたくないのなら、迷惑をかけてしまう状況を作らないことが鉄則。
同じ学校で生活していて、今回のような噂がいつまでも隠し通せるわけもない。
先日まで隠せていたのが奇蹟みたいなものだろう。
だから、次からはこんな状況にならないように手を打つ必要がある。
でも、それがどんな方法なのかは全然ピンとこないんだけどね。
「……今度コノエに相談してみよう」
そう心に決めた。
先に履き替えていた真吾と掲示板の前で再度合流する。
「お昼はどうしようか?」
そう言った真吾の視線が俺の手にある巾着に向けられる。
その中には朝から作った昼食がふたり分入っている。
「教室……よりも、今日は中庭の方がいいかな?」
たびたび志保ちゃんのクラスで昼食を一緒しているとはいえ、それが真吾のクラスとなると勝手が違う。
それに、今回の目的としては衆目を集めやすい中庭の方がベターだろう。
「中庭かぁ。うん、じゃぁ銅像に近いベンチにしようか」
銅像かぁ……中庭のほぼ中央にあって、そこに面しているどの校舎からでも見える場所。
その前にあるベンチなら、確かにおあつらえ向きだ。
「わかった。また昼休みに、そのベンチのところで」
「うん。よろしく」
階段で手を振って別れ、ひとりA組の教室へと向かう。
さて、どうしてこんなことになっているのか自分自身のためにも整理しておこう。
真吾とともに生徒指導室に呼び出されたはつい昨日のこと。
その放課後、保健室に集まったコノエと真吾、未央先生を交えた四人で話し合ったのは、予想通り赤坂ファンクラブについてだった。
コノエがこれまでに調べた結果、俺の良くない噂は、やはり赤坂ファンクラブが流し始めたことらしかった。
以前、俺と真吾が土曜日に制服のままデート(なのか、あれ?)したこと、その翌日の練習試合でも一緒にお昼を食べていたこと、このふたつが根本の原因になっているそうだ。
どうして、その程度のことで……と思ったけれど、それ以前に『話しかける』ことすら問題視しているファンクラブに対して一足飛びで突如現れた俺は、かなりの反発を招いたそうだ。
以前、明美たちに聞いた話では、赤坂ファンクラブは『抜け駆け禁止』を旨とした組織らしく、真吾と直接話すことも許可を得ないと原則禁止されているって言ってた。そういったルールを破ると、ファンクラブ総意による制裁が加えられることとなる。毎年最初の制裁は『見せしめ』として派手に動くことで『抜け駆けしたらこうなるぞ』と脅しの意味合いがあるのだとか。
その最初のターゲットが今年は俺だったらしく、ルールから大きく逸脱した行為を理由にファンクラブ総出で制裁を実行しているとのことだった。
しかも、首謀者が予想以上に狡猾で、ファンクラブ全体を把握するのに時間がかかりすぎているとコノエがぼやいていた。
と言うのも、直接手を出すことは下級生にやらせ、自分たちは手を汚さない方法で足取りを掴ませないようにしているらしい。その、尻尾を掴ませない周到さのおかげで、今も確実に追いつめられるだけの材料は揃っていないと言っていた。
明美たちも、最初に二年生数人と接触して以降は、メールで指示が来てただけで、その二年生も名前はおろか、顔すらもよく覚えてないらしい。
眞由美が言うには、自分たちと会ったときは変装でもしてたんじゃないかということだったけど。
その、尻尾を掴ませない周到さのおかげで、今も確実に追いつめられるだけの材料は揃っていない。
「でね。巣穴に隠れて尻尾が掴めないのなら、そこから引っ張り出してから掴まえればいいよね」
とコノエは言う。
昨日の写真の件で名前が挙がった『御門さん』が手がかりじゃないのかと問うと、コノエは真顔で数秒だけ思案してから口を開いた。
「もちろん、その線からも調べてみたけど、十中八九“フェイク”でしょうね。橋渡し役として利用されただけの可能性が高いと思うの。渡すところを見てた娘の話と、本人に直接確認した話を統合すると、有塚先生宛と明記された封筒を頼まれてた資料と一緒に持って行っただけで、御門先輩は中身も意味も知らなかったそうなの」
「ちょ、本人に直接聞いたの?」
嘘付かれたら意味がないんじゃないか、それ……と思っていると、
「うん、まぁね。だって御門先輩って男子学生だったから」
「男?」
そのコノエの言葉に、なんとなくファンクラブの一員なんだろうと思ってただけに驚いた。
「そう。だからファンクラブ会員である可能性は低いと思うの。もちろん、ゼロとも言えないけどね。ふふふ」
その笑みに真吾が顔をしかめた。
まぁ、その気持ちはわかるよ。
「ちょっと待て」
黙って見守っていた未央先生の言葉にみんなの視線が集まる。
「それだと、写真の件がファンクラブの差し金かどうかさえ決められないんじゃないか?」
「そうなんですよ。御門先輩がファンクラブの一員じゃないかって線が消えた今、証拠足り得るものがないんです。強いて上げれば、御門先輩……三年生の授業で使う資料に封筒を紛れ込ませるのは、少なくても同じ学年、それもクラスメイトじゃないと難しいってことですね。あくまで推測に過ぎませんけど。そこで話は戻って、巣穴から引きずり出す手だてを立てましょうってことなんですよ〜」
末端の手足たるファンクラブの一年生……明美たちはすでに切り離した。
噂も徐々にではあるけど沈静化の兆しを見せている。
昨日の写真の件も直接関係ないかもしれないけど丸く収めた。
こちらから罠を仕掛けるタイミングは、打つ手がことごとく潰えた今しかないとコノエは言う。
それに、選挙活動の前に解決しておきたい一番の案件でもあると付け足した。
そう上手くおびき出せるのかという未央先生の疑問に、コノエは落ち着いた顔で頷いた
「結論から言えば、どっちに転んでもいいんですよ。なにしろ、制裁の成功不成功には首謀者の面子がかかってますから、ここで手を引けばファンクラブの求心力……と言うか強制力がなくなって、自ずと内部から瓦解するでしょう。そして、再び手を出そうにもスケープゴートにできる一年生がほとんどいない上に、一度失敗していることを併せて考えれば、面子の維持のために首謀者直々に動く可能性は十分にありえます」
「そうは言うがな九重。そうそう上手く、その首謀者を掴まえられるのかと私は聞いてるんだが」
「神野先生。上手くいくのを『願う』んじゃなくて、上手くいくように『する』んです。そのためにいろいろと準備してきたんですよ? まぁ、物事にゼッタイはありませんから努力する、としか言えないんですけどね」
と、言葉とは裏腹に自信満々答えていた。
おびき出すための具体的な手段として、ことの発端が『俺が真吾に接近しすぎた』ために起こったことだから、再度接近することで次のリアクションを取らざる得ない状況を作り出すことになった。
その流れで今の状況に繋がってるってわけだ。
湾曲な嫌がらせについては、コノエの方で監視体制を取ってもらうことになった。
男子学生からの直接的な嫌がらせは、携帯で連絡してこれまで通りに対応する。
目的は、ファンクラブの、できれば首謀者からの直接介入。
そんなこんなで、真吾と付き合ってると見えるように振る舞うことに決まった。
……んだけど、当初の計画では、お昼の弁当を作って一緒に食べるだけだったのが、琴美さんにその話をすると『ついでに』ってことで、三日間、真吾の家に泊まって身の回り全般の面倒を見ることになってしまった。
ちょうど大吾おじさんと旅行へいく計画を立てていたらしく、『食費とかいろいろ出すから。ね?』と、お願いされた。
別にそれは構わなかったのでオーケーしたんだけど……。
まさか車で同伴登校する羽目になるとは予想していなかった。
……ま、まぁ目的には合致してるので、いいと言えばいいんだけどね……。
そんな理由から、実は昨日の夜から真吾の家にハウスキーパーとしてお邪魔していたりする。
昨日、家で母さんに『真吾の家にしばらく泊まる』と話したら、ふたつ返事でオーケーが出た。一応、娘が男ひとりの家に泊まりに行くっていうのに、信用されてるんだか、放任主義なんだか……。
そして、予想通り瑞穂には怒られたんだけど、次の土曜日には瑞穂も手伝いとして泊まりに来るってことで収めてもらった。
ちょっとゴタゴタしたけど予想通りの展開ではあったし、琴美さんたちの旅行も真吾の弁当を作る口実として都合がよかった。
土曜日は瑞穂の面倒まで見ることになってしまったけど、それはまぁ問題ないかな。
瑞穂のためにも、姉としての威厳を保つためにも、学校での立場を強化しておかないといけない。
そのためには原因であるファンクラブと折り合いをつける必要があるからね。
でも、真吾の彼女か…………正直、全然ピンと来ない。
しかし、相手が真吾で助かったとも言える。
変に緊張しないで済むし、前みたいにしてればいいんだから演技することもないだろう。
「おはよう。さくらちゃん」
楓ちゃんの声で我に返ると、いつのまにか教室の前まで来ていた。
「おはよ。今日もいい天気だね」
楓ちゃんと挨拶を交わして一緒に教室に入る。
「うん。最近、お天気が続くよね」
にっこり微笑む楓ちゃん。
あ〜もぅ、キラキラと効果音でもつきそうな笑顔がまぶしいなぁ。
「そうだね……うん、やっぱり中庭で正解だったかな」
「中庭? なにが正解なの?」
「お昼を…………そうだ。楓ちゃんたちには説明しておこうかな。実はね……」
あまり多くの人に説明しても作戦だとバレちゃう可能性が高くなる。
でも、変な誤解を与えかねないので最低限の人たちには教えておかないと。
ファンクラブ以外に騒がれると収拾が大変そうだし……。
とりあえずクラスの中だけで、楓ちゃんたちと火野くんのグループ、そして明美一党には話しておこうかな。
これ以上は折りを見てってことで。うん。
そんなことを考えながら楓ちゃんに今回の作戦を説明した。
「お待たせっ。気持ちいい天気だねー」
中庭のベンチにひとり座って待っていた真吾に声をかける。
天気は快晴微風なり。
気温もそこそこで実にすがすがしく、まさにピクニック日和。
場所が学校の中庭ってのが残念だけど、そう贅沢も言っていられない。
これだけ気持ちいいんだから外で食べなきゃもったいないってもんだろう。うんうん。
そうひとりごちていると、真吾がなんともいえない視線を送ってくる。
「真吾センパイ! こんにちは!」
「お邪魔しま〜す」
「せ、先輩。こ、こんにちは……」
「失礼しますぅ」
挨拶とともに明美とその背後に控えていた五木眞由美が瞬く間に真吾の両隣を占拠。
あぶれた柳多賀子、和田今日子のふたりもベンチのすぐ後ろの芝生にレジャーシートを広げてセッティングし始める。
「……なに?」
「あ、あは、あはは……」
状況が飲み込めない真吾の疑問に、ただただ苦笑いで答えるしかなかった。
「で。それでもいいからどうしてもって押し切られちゃったんだよ」
とりあえず真吾の隣を眞由美とひと悶着の末に空けてもらって腰を下ろし、この状況になった経緯……と言うか、言い訳を説明する。
確かに『今度、真吾と一緒に昼食を食べるセッティングをする』と言った。
言ったさ。あぁ言いましたとも。
約束を反故にするつもりもなかったし、ファンクラブの件が解決したあとなら何回だって問題なかった。
今日のはファンクラブをおびき出すためのもので、次は直接手を下してくる可能性が高い。なにをしてくるかわかんないから、昼食の件はしばらく待っていてくれって何度も言ったんだけど。
「明美たちはファンクラブ抜けした身なんだから余計目を付けられるかもしれないんだぞ?」
「あーもう。だから波綺は心配性なんだって。子どもじゃないんだから適当に誤魔化しておくってば。あんまり言ってると、本当にふたりの時間を邪魔されたくないからキベンをろーしてるって思うよ?」
「あたしたちもそれ覚悟ってことでいーからさ。いいじゃん別に。ナンかあったって波綺に責任取れとか言わないからさー」
「って感じで平行線でね……」
教室での問答を再び繰り返しながら真吾に理解を求める。
こんなことなら黙っておけばよかったかなぁ。
でも、それじゃ間違いなく途中で乱入されるか後で追求されるかのどちらかだっただろう。
望んだ結果じゃないけど、ベターな選択ではあったと思う。たぶん。
「ま、まぁ、さくらが良いんなら僕はかまわないよ」
「ほ〜ら。真吾センパイもこー言ってることだし。いいじゃんそんなにケチケチしなくってもさ」
「別にケチとかそーゆーんじゃないんだけどなぁ……」
どうしてわかんないかな?
「あはは。それはそれとして、お昼にしようか」
「あ、ごめん。今準備するから」
すでに待ちきれないらしい真吾の催促を聞いて慌てて準備する。
それとなく辺りをうかがうと微弱な視線は感じられるものの、それがファンクラブのメンバーなのかどうかまでは当然わからない。
敵意を含んでる視線イコールファンクラブって図式はあまりに安直かもしれないけど、その確率は明らかに高くなるはず。
だから、ファンクラブである可能性が高いって指針にはなると思う。
流石に、そう早々と釣れたりはしないだろう。
明確な敵意を感じたら、その時対応すればいいか。
ただ、ちらほらと同じように中庭で昼食を取っている生徒の注目度は高いみたいだった。
実際、真吾がどうこうと言うより騒がしくて目立ってしまっている。
辺りをそれとなく観察しながら、真吾にカップを渡して水筒のカフェオレを注ぐ。
そして、持ってきたバスケットから取り出したサンドイッチの包みを開いて差し出した。
「うわ。なんだかすごいね」
手を伸ばした真吾がひとつつまみながら感嘆する。
「それは厚めのカツとレタスでボリューム満点のサンドイッチ。こっちの包みはタマゴとハム、チーズとトマトとシーチキンのさっぱりメニューになってるから」
我ながら自信作だ。出来がどうこうよりも素材がいい。
本当はサンドイッチにするのは勿体ないほどのロースカツを使わせてもらったし、ホテル御用達のマスタードやタルタルソースも使っている。
これで不味く作る方が難しいくらいだ。
「ね。それって波綺が作ったの?」
真吾を挟んで反対側に座っていた明美が身を乗り出して聞いてくる。
「そうだよ」
「まぁ〜? サンドイッチくらい? はさんで切るだけだし? 私にだってラクショーよねー」
と言いつつ伸びてきた手をぺちっと叩き落とす。
「あにすんのよ!?」
「当然のような顔で勝手につまむな」
「いいじゃん。こんなにあるんだしさ」
「だからそーゆーんじゃなくて礼儀の話してんだって。ほら、ひとくちだけな」
差し出したカツサンドに明美がかぶりつく。
これらの行為はすべて真吾をはさんだまま行っているので迷惑しているかと思ったら、少し腰を引いて一心に次々と食べていた。そうか、飢えていたんだな。すまん遅くなって。
でも……
「ほら、真吾も、そんなに慌てて食べなく……」
「って!! うまぁぁぁぁーーーっ!!!???」
突然の大声にびっくりすると、明美が立ち上がって叫んでいた。
「さっきからなんなんだよ……」
もはや奇行とも言うべき言動に呆れていると、手に持ったカツサンドに明美が飛びついてきた。
「な!? あ、わ、こら! 痛! 痛い! 指まで噛むな!!」
結局ひとくちに留まらずカツサンドひとつまるごと奪われ、持ってた手には歯形だけが残った。
しゃがんでいた明美は指をぺろりと舐めながらすっくと立ち上がった。
「なに今の。異常にうまかったんだけど?」
と言いつつ視線が残ったカツサンドに向けられる。
「異常ってなんだよ。いいお肉使って作ったんだからおいしいに決まってるだろ。……あぁ真吾、全部食べちゃっていいから」
「さくらの分は?」
「朝、味見したし……あぁ、いらないんなら貰うけど……って、真吾?」
答えを聞くや否や残った二切れ……二切れって言っても、量にして厚切り食パン二枚分プラス特厚カツ……が瞬く間に無くなっていく。
俺ならそれだけで一食分になる……つか、全部で六切れあったから、ひとつ明美に取られたとして残り五つがすでに食べられたってことに……。
恐るべし真吾の胃袋。
「……いや、まぁいいんだけどね」
正直俺も食べたかったんだけど、もぐもぐと一心に頬張る姿を見てちょっとした満足感に浸る。
これこそが料理を作る醍醐味といっても過言じゃないだろ。うん。
「あぁ……もう無くなっちゃった……」
「いや、元から明美の分は用意してないから」
「なんでよっ!?」
当然の権利を主張するかのごとく逆ギレされた。くっ……。
「なに? そんなにおいしいの?」
背後のレジャーシートに陣取っていた眞由美も明美の反応を見て興味が湧いたのか、俺の膝の上に残った包みを覗き込む。
「いや、普通だって。食べてみる?」
眞由美にタマゴサンドを渡す。あたしもあたしも〜という声に眞由美は器用に三等分して、残ったひと切れを口にした。
「「「う、うまぁっーーー!!」」」
「あーもぅ、うるさいなっ!」
口々に奇声をあげる三人のせいで鼓膜がピリピリする。
もうちょっと頑張れば、共鳴で窓ガラスくらい割れるようになるかもと思っちゃうくらいのシンクロハーモニーだった。
「波綺、これゼッタイなんかヤバイの使ってるでしょ?」
「ヤバイって何がだよ?」
なんか目の色が変わってる眞由美に気圧されながら聞き返す。
ひとの作ったものを掴まえて、なんてことを言いだすんだ。
「か○ぱえびせんの秘密成分とか、ハ○ピーターンの秘密パウダーとか、とにかくそんな感じのよ」
「……市販されてんだから別にヤバくないだろ。しかも、それ入れればサンドイッチが美味くなるわけ?」
詳しくないけど、秘密成分とか秘密パウダーとか、単に企業秘密ってだけじゃないのか?
「でもさ、それフツーに売れるんじゃない? あたしだったら買うよ?」
「そ、そお? そんなこと言われると……なんか照れるね」
異常とかヤバイのとかじゃなく普通に褒めてもらえると嬉しくなる。こそばゆいとゆ〜か。
「よし波綺。結婚しよう」
明美がギュッと手を握ってきた。
「は? なにを……」
言い出すんだと言いかけて、明美のアップに言葉が途切れる。
鼻と鼻がくっつきそうなほどドアップになった明美の瞳に自分の姿が映っていた。
「あたしがバッチリ幸せにしてやんよ」
不敵そうに微笑む明美。
なんか欲にまみれた濁った視線で告白された。
「いやー……それはどうだろね〜」
視線をあからさまに外して呟く。あんまり幸せになれない未来しか想像できない。
「あの……さくら? サンドイッチ食べられてるけど、いいの?」
恐る恐るの体で話しかけてくる真吾。
自分の膝を見おろすと、さっきまであったはずのサンドイッチの包みが無い。
「あ、ずるいぞ。あたしの分も残してよね。ヨードー作戦成功したんだから」
「ほめん。ほ、ほほっへはひはは」
手を握ったままの明美の声に、多賀子は頬張ったまま謎の言語で語りかける……って!?
「待ておまえら! 俺まだひとくちも食べてないんだぞ!?」
「波綺〜また『俺』って言ってるよ?」
「そんな話してねー! 俺の昼飯!」
「まぁまぁ、あたしのおべんとあげるから」
「あたしのパンもあげるから」
「はい、イチゴオレも飲んでいいから」
次々に差し出される食料が口に詰め込まれる。
抵抗しようにも背後から明美に取り押さえられて身動きがままならない。
「よし、このまま口封じだ。どんどん補給せよ」
「らじゃー!」
手際よくハンカチが胸元に被せられ、口の隙間からストローを入れられたかと思うとイチゴオレが流れ込んでくる。
咀嚼もままならず、飲み込むことも困難な状況で唯一自由になる視線で真吾に助けを求めると、『ごめん無理』と言わんばかりの笑顔で返された。
「うがぁ〜〜っ!!」
「目標、暴走開始。各員距離を取って第二波の準備にかかれ!」
「らじゃー!!」
ようやく開放されたところで空になったサンドイッチの包みに口の中のものを吐き出す。
「あぁ〜もったいないなぁ。食べ物を粗末にしちゃだめだぞ?」
「………………」
離れた明美の言葉を聞き流して、静かにゆらりと立ち上がる。
油断してたのか、レジャーシートに残っていた今日子……パンを詰め込んだヤツ……の背後に回って首を極める。
「ぁ……」
きゅっと締めると今日子は短い声を漏らし、戒めを解くと同時にレジャーシートに崩れ落ちた。
「…………」
「し、死んだ?」
「……さ、さくら?」
静まりかえる明美たちに代わって、真吾が恐る恐る話しかけてくる。
「…………ラミ……ハラサデ、オクベキ、カーーッ!!」
くわっと目を見開いて両手を上げて威嚇すると、明美たちは悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「それにしても、ずいぶん仲がいいんだね」
と他人事のような顔で真吾が笑う。
「仲、いいのかなぁ……。まぁ今まで友人にいなかったタイプではあるね」
遠くの物陰から恐る恐る覗き見てる明美たちを眺めながら答える。
「僕はいいと思うけどね。それより……」
真吾の視線がレジャーシートに倒れている今日子に注がれる。
「……忘れてた。もう起きていいよ」
「もういいの?」
今日子は何事もなかったかのように起きあがる。
「うん。でも、さっきはいきなり倒れるからびっくりした」
「へへ。ノリとイキオイが信条だからね」
絞めたと言っても軽〜くだったから失神するほどじゃないし、第一失神させるような締め方なんて知らない。
それはそれとして、悪びれずにふふふと笑う今日子の背後に回って後ろから再度拘束する。
「うぁ? な、なに?」
「よだれ、タレてるよ〜」
両手で頬をはさんで固定しながら耳元に囁く。
今日子は慌てて口元を拭った。
そして振り向こうとするのを、ぐりぐりと頬をこねて邪魔をする。
「今日子ちゃん? あんまりはしゃいでると、真吾の前で、こーんな顔や、こぉぉーんな顔にしちゃうよ〜?」
様子を見ている真吾に向けて、頬をつまんでびろーんと伸ばしたり、ぎゅぅっと寄せたりして百面相をさせる。
「ひや! や、ひゃめてよ〜」
「わ。すっごい伸びる。柔らか〜い」
背中から覗き込むと今日子はすでに涙目だった。
……ちょっと、やりすぎたかな?
「もう勝手にひとのお昼ご飯食べたりしない?」
「しないしない。しません、から」
「……じゃぁ言うことがあるよね?」
「ご、ごめんなさい」
「はい。よくできました。真吾、手を貸してあげて」
頬を解放して立ち上がる。
真吾は素直に手を差し出して今日子が立ち上がるのを手助けする。
「波綺のほーがイジメっこだ!」
真吾の背中に隠れて睨む今日子に肩を竦めてみせる。
「知らなかったの? 私は泣き寝入りが出来ない性分でね、売られたケンカは買うって決めてるの」
右手を腰にあてて微笑むと、怯えた今日子は完全に真吾の影に隠れた。
「あ〜今日子ずるいぞ」
真吾の影に隠れる今日子を見咎めた明美たちが戻ってくる。
我先にと真吾に駆け寄ってくるタイミングに合わせて、明美の顔を正面から右手で掴まえる。
すぐ後ろに付いてきた多賀子の顔も残った左手で掴んだ。
「痛っ!? って、痛たたたたっ! マジでチョー痛いんだけど!?」
「君たちは、なにか私に言うことがあるんじゃないかなぁ?」
キリキリとアイアンクローを加減しながら、残った眞由美に微笑みかける。
「う〜あ〜……その……」
「ん〜〜?」
徐々に握力を上げていくと、ふたりは苦しそうに呻き声をもらす。
「ご、ごめん。あたしらが悪かった。悪ふざけがすぎました。このとーり謝ります。すみません。ごめんなさい」
その様子を凝視していた眞由美がガクガクと頭を下げた。
「うんうん。で、このふたりはどうかな〜?」
必死にもがく明美と多賀子。抵抗すればするほど離さないように力が込めないといけないから逆効果なんだけど。
「ごめ、んなさい」
「は、反省して、ます……」
「よし」
手を離すと、ふたりはこめかみを押さえてうずくまった。
「ちょ、ちょっと波綺! あんた握力どんだけあんのよ!?」
「瞬間でいいなら70くらいかなぁ。持続するなら40前後だったと思うけど」
「なんでそんなにあんのよっ」
「今みたいな時に役立つでしょ?」
恨めしそうな明美の言葉に微笑み返す。
「真吾センパイ! こんなバカヂカラの暴力女って、どう思います?」
明美は真吾の袖を引いて、俺を指差しながら失礼なことをのたまう。
「どうもこうも、さくらは昔からこんな感じだったし、今のは君たちの方が悪いと思うよ」
よし、よく言った真吾。晩ご飯は好きなものを作ってあげようと心に決める。
「ちきしょー覚えてろよ波綺」
「そっちこそ、よぉっく覚えておいてね? 次は足腰、立たなくしてあげるから」
腕を組みこぶしを顎にあて余裕の笑みを見せる。
「な、なにする気よ!?」
「も・ち・ろ・ん、口じゃ言えないようなこと。かな」
「ごめんなさい。勘弁してください」
がっくりとうなだれる明美。
「あ〜さくら? 急がないと昼休み終わっちゃうよ」
そんなやりとりを苦笑しながら眺めてた真吾が時計に目をおとして教えてくれる。
「そっか。ほら、お遊びはおしまい。残り食べたら後かたづけするよ〜」
「お遊び?」
「お遊びぃ?」
「お遊びなの?」
不平をパンパンと手を叩いてなだめて、お弁当とパンを分けてもらって騒がしいまま昼食を終えた。
しかし、ツーショットで仲良くお昼という当初の予定とは随分違ってしまった。
こんなんで赤坂ファンクラブは行動を起こしてくれるんだろうか?
騒いでただけに予想よりも目立ってはいたはずだけど、真吾は傍観者の立場だったってこともあるし、目的通りの効果は期待できないだろうなぁ。
まぁ流石に一日でどうこうなるはずもないか。
もうしばらく続けてみて、様子を見てみないといけないかな。
予鈴が鳴って真吾と別れたあと、教室に戻る途中で懲りない四人が話に花を咲かせている。
女三人寄れば姦しいってのを地で行ってるよなぁ。
自分とは違う生き物だよなぁと観察しながら、その後ろをついていく。
「でもさ、波綺の料理ってかなりヤバくない? マジで」
「人にはなにかしら取り柄があるって言うよね。マジで」
「あたしらのおべんとも作ってくんないかな? マジで」
「その辺ってジッサイのところどうなのかな? マジで」
なにかの決まり文句なのか、『マジで』って言葉とともにそれぞれが振り返る。
図々しくも期待に満ちた視線が注がれる中、大きなため息をついた。
「なにが楽しくて君らのおべんとまで作んなきゃいけないわけ? マジで」
なんのアレなのかは知らないけど、とりあえず語尾を真似てみる。
「差別発言禁止〜ついでに安易な真似も禁止〜。それならさー真吾センパイの作るのは楽しいわけ?」
「そりゃ楽しいっしょ?」
「うはwそれもそっか」
質問に答える前に自分たちで完結しながら、きゃっきゃっと笑いながら歩いていく。
その後ろで、再度大きなため息とともに肩を落とした。
……この娘らのパワーには到底敵いそうもない。
ファンクラブの主要メンバーもこんなんなんだろうか?
だとすると、まともに相手にするエネルギーは俺にはないなぁ。
その時はコノエに任せようかなぁと、ちょっぴり後ろ向きな考えに沈みながら教室に戻った。
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