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Chapter. 7
Standing position
立つべき場所 8





 
   

「じゃぁこの問題を……波綺と火野。前に出てやってみろ」
「……はい」
一瞬の逡巡のあと、返事とともに席を立つ。

「げぇ。またかよ……」
後ろの席の火野くんが小さな声で悪態をついて渋々と後ろに続く。

二限目数学。
板書していた朝倉先生に脈絡もなく指名された。

普通こうした指名には法則があって、日付と出席番号を関連づけたりするものだけど、朝倉先生は独自の指針で選ぶので油断できない。薙に言わせれば、『当たらなければどうということはない』らしいんだけど、いつ当たるか分からないと思わせるのが狙いだとすれば、目的は達しているように思う。

でも。でもだ。最近、偶然や気のせいと言うには高確率で指名されることが続いている。感覚的には二日に一回のペース。大抵二、三人まとめて呼ばれるので、周りに座っている火野くんたちも必然指名率が高くなっている。
しかし、思い返してみても特に朝倉先生に目を付けられるようなことはしてないはずなんだけど。

まさか、例の噂を耳にしてって理由でもないだろう。どちらかと言えば敵愾心みたいなものを持たれている感じがするくらいで、噂を原因とするには動機に無理がありすぎる。もうひとつ心当たりらしきものがあるとすれば……それも単なる推測で、時期から考えればそれくらいしか思い当たらないという程度なんだけど。

この指名頻度は前に学生服で授業を受けたとき以来多くなった。だとすれば、それが直接的でないにしろ、なんらかの原因になってるのかもしれない。と言っても、学生服姿……男装で授業を受けたことの、なにが問題だったのかが見当つかないんだよなー。

「……うん。これでよし」
解答を書き終えてチョークを置く。念のため見直してみたけど計算ミスはない。
さて、火野くんは……と様子を見ると、計算の途中で引っかかっていた。
ふんふん、なるほど。そこまでの考え方は合ってるな。

「そこまでは大丈夫。合ってるよ。あとは面倒だけど、ひとつひとつ書き出して整理しないと、暗算じゃ難しいかも」
「波綺。教えるんじゃない」
火野くんに話しかけると、朝倉先生の叱責が飛んできた。

「朝倉先生。ちょっと時間もらえませんか? その間、先に授業を進めてていいですから」
「…………」
やんわりと言い返すと、先生は一瞬だけ苦虫を噛みつぶしたような表情を見せて教卓へ戻った。

「……勝手にしろ。授業は続けておくからな」
「はい。さて、二枚のカードの積と和がいくらになるか書き出してみようか」
授業を再開する朝倉先生を後目に、火野くんとマンツーマンで問題を解いていく。

出来ないこと、そして、教えてもらうことが悪いんじゃない。

大事なのは本人のやる気をどう導き出すかで、出来るまでの時間は度外視してでも本当に理解できるまで丁寧に教えてあげるのが一番大切だと、下宿先で家庭教師をしてくれていた奈月さんが言ってた。だからこそ俺も勉強が楽しく思えてやってこれたし、その時学んだ奈月さんの教え方そのものを手本にしたいとも思っている。

「サイコロが三の倍数の時は三と六だから出目の確率は三分の一。だから……」
確率問題はサイコロやカードなどの例をもって出題されやすいけど、それを読解して数字にしてしまうとシンプルに考えやすい。丁寧に確率を展開していきエックスの値が三になるものを集めていく。あとは分数を足していけば……。

「そっか。ここがこうなるから……」
問いのひとつ目が解けた火野くんは、ふたつ目みっつ目をスラスラと解いていく。

「うん正解。これならフォローは必要なかったかな」
「いやいや、さくらちゃんのおかげだって。マジサンキュ」
「私はヒントを出しただけ。これは火野くんの実力だよ」
そう言うと火野くんはすごく嬉しそうに笑った。

最初詰まっていた問題をヒントを貰っただけで、あとは自力で解けたことが実感できてるんだろう。
全部を教えると自分で考えなくなるし、ノーヒントでも手詰まりで嫌になる。
奈月さん曰く『相手の理解度を把握しながら、迷わず前に進むためのヒントを出すさじ加減がポイントだ』って言ってたけど、今回は、そのさじ加減具合にも、なんとか及第点をもらえそうかな。

「先生。できました」
そう告げた時、教室のドアが静かに開いた。隙間から顔を覗かせたのは、確か……生活指導を担当してる先生だった。朝倉先生が廊下へ出向いて二言三言、言葉を交わしたかと思うと俺を手招きする。

「波綺。おまえに用事だそうだ」
そのまま廊下へと連れ出され、『ついてこい』と言われるまま生徒指導の先生の後ろをついていく。

これは、ひょっとして……。思い当たる節を想定しつつ、さて、どうしたものかと考える。

(そういえば、こんな時に使えって言ってたっけ)
コノエの言葉を思い出しながら、ポケットの中の携帯電話をぎゅっと握る。

しばらくあとをついて歩いていくと、目的地は予想通り生徒指導室だった。





向かい合わせに椅子に座ったまま、沈黙が一分ほど続く。
じっと見つめる有塚先生の視線を真っ正面から見つめ返す。
なにかプレッシャーでも与えたいのかもしれないけど、馬鹿正直に乗ってやる必要もないので逆に観察してみる。

年齢は五十代くらいだろうか。メタボリックを疑われる境目の体型と弛んだ頬、白髪が多いことを差し引けば、まだ四十代なのかもしれない。
こうして直接的に相対するのは初めてだけど、聞いた限りでは生徒の評価はすこぶる低い。
生徒指導であることを差し引いても、人気があるとは言い難い性格をしているということだったけど。

そんなことを考えていると、ようやく有塚先生が口を開いた。

「これなんだが、見覚えはあるか?」
意味深に机の上に差し出されたのは、先日メグの手によって行方不明になった写真。

(やっぱりコレか……)
なんとなく予想してただけに、それほどショックはなかった。

「これに写ってるのはおまえで間違いないな?」
「はい。間違いないです」
なにしろ確かに俺だと判別できる写真、なにより紛うことなき事実でもあるので、シラをきって立場を悪くするくらいならと正直に打ち明ける。

「もうひとりは誰だ?」
有塚先生の『もう誰だかわかってる』と言わんばかりの視線に、吹き出しそうになるのを懸命に堪える。

あ〜だめだ。緊張感がないな俺。
なにせ開き直るしかない状況だからなぁ。
ここは腹を括り、なるようになるだろうと覚悟を決めて心の中で真吾に謝った。

「赤坂真吾です」
「二年B組のか」
「そうです」
クラスがすぐに出てくるのは、真吾が有名なのか、それともアタリをつけてたのかの判断が難しいな。

「問題だぞ、これは」
やけに深刻そうな声で迫ってくる。
……あんまり顔近づけるな。暑苦しい。

そんなに問題なのか。と、他人事のように考える。
そもそも、紛失した時点でまずいことになりそうだとは思ってたけど、実際にこうして問題になっているからには予想は外れてなかったってことか。真吾と一緒って言っても、感覚的に男同士って認識があるので、こうやって他人が騒いでもなかなかピンときにくいものがあるんだけどなぁ。

何も反応せずに黙っていると、有塚先生は舌打ちをして椅子に座り直した。

「失礼します」
ノックの後、扉を開けて真吾が指導室に入ってくる。
やはり、すでにアタリを付けてたのか、前もって呼びつけていたらしい。
でも、まぁこのレベルの引っ掛けなら特に問題ないだろう。

教師の死角で手を振ると、真吾は困ったような顔で苦笑いした。

「赤坂。この写真に写ってるのはおまえで間違いないな」
写真を差し出され、覗き込んだ真吾の顔が一瞬で驚きに変わる。
それをニヤニヤと見つめる有塚先生。
……いや、もう先生を付けなくてもいいだろう。
はっきり言って、その資格はまったくない。

その有塚の顔に苛立ちを覚える。

あぁ、そんな反応を見たかったのか。
真吾は素直だからなぁ。

有塚にアゴで促され、俺の隣に真吾が座る。
そして、机に置かれた写真を食い入るように凝視する。

「……真吾は、これ見てないんだっけ?」
「見てないって……誰がいつ撮ったんだよ、こんなの」
「琴美さんだよ。それ以外には考えられないだろ?」
「……またあの人は……後先考えないから」
「まぁ紛失したのはメグなんだけどな」
「それはどういう……」

「待て、おまえら。コトミって誰だ?」
名前を聞きとがめた有塚が、この場の主導権は俺が握ってると言わんばかりに割って入ってくる。

「……うちの母親です」
申し訳なさそうな真吾の声。

「赤坂、おまえの母親か、これを撮ったのは」

(だからそう言ってるだろ。どうやったら聞き間違えんだよ)
有塚のわざとらしく驚く姿に内心でツッコミを入れる。
行動や話す内容がいちいち疳にさわって仕方がない。

「波綺の素行にも問題アリだが、優等生の母親も問題があるみたいだな」
その言葉を聞いても、真吾は一見して表情を変えなかった。
でも、内心怒りを覚えているであろうことは想像できた。
そうだよな、言い方がいちいちむかつくよな。

「先生? 私に“問題あり”というのはどういうことですか? よろしければ説明して欲しいのですが?」
穏やかに微笑みながら問うと、有塚は一瞬言葉を詰まらせたあと、ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。

「それは自分でわかってるんじゃないか? 火のないところに煙は立たないと言うしな」
「それはどういう意味ですかっ!」
バンっと机を叩いて立ち上がる真吾。
その真吾の手を取り、視線だけで座るように促す。
さらにゆっくりと二回頷いてみせると、なんとか怒りを抑えて席に座り直した。

「どういうことかわからないので説明していただけませんか?」
再度問うと、有塚は嬉しそうにしゃべり出す。

「そうか、おまえは知らないのか。職員室でも有名だぞ? おまえが体を売ってたってな」
「そうなんですか?」
また激高しないよう机の下で真吾の手を握りながら聞き返す。

「そうか。噂は本人には一番遅く届くと言うしな。どうも、おまえのそういう噂が流れているらしいんだよ。俺も小耳に挟んだだけだけどな」
「なるほど。だから先程の『火のないところに〜』という言葉に繋がるんですね」
「そ、そうだ。どうだ? 身に覚えがあるんじゃないか? それに、人間図星を指されると怒ると言うしな」
後半は真吾に向けての言葉だった。
挑発に乗りかける真吾の手をギュッと握る。

頼む。ここはおとなしく座っててくれ。

真吾を抑えることに注意を向けていると、なにを勘違いしたのか興奮した有塚が話を続ける。

「そうだ。その件についても事情を聞いておかなければな。どうだ? ここは先生を信じて正直に話してみろ。悪いようにはしないから、な?」
「いえ、身に覚えがないことですから、お話しすることはないですね」
ねっとりと絡みつくような言葉をバッサリと断ち切る。

真吾が手を握り返してきた。
こちらの意図に気づいてくれたのか、今のところは静観してことの成り行きを見ている。

「なら、どうして二週間前にあんなことが起きたんだ? 本当はお前が誘ったからじゃないのか!? 以前、九重とかいう代理人を立てたことも、後ろめたいことを隠すためなんだろうっ!?」
自分の思惑に夢を咲かせている発想に辟易しながら、冷静に対処できるよう心の中で深呼吸をする。

「先生? 先生は私を疑っているようですが、なにか証拠でもあってのお言葉でしょうか?」
「証拠なら目の前にあるじゃないか」
ニヤニヤと写真を指差す有塚。

「これが、どうかしたんですか?」
「どうかしたじゃないだろうっ!! 普段からこうして男と遊んでるんだ。生活態度も容易に想像がつくんだよ。俺は、お前のような生徒を何人も見てきたんだ。見た目がいくらおとなしくても、裏に回れば援助交際や万引き、タバコにドラッグとかいろいろやってるんだろう!? あぁ?」
もはや恫喝に近い口調で責め立てられる。
しかも偏見による言われ無き中傷込みで。

「先生? 今、援助交際、万引き、タバコ……それにドラッグと言われましたよね?」
「あ? あぁ、なんだ? まだ他にもいろいろとやってるのか?」
心の中だけで舌打ちする。
どれだけマイワールドを築いてるんだこいつは。

「援助交際は、まぁ噂を鵜呑みにする迂闊さがあれば発想できる範囲のものだと思いますが、残りの万引きとタバコ、ドラッグについては、何を根拠にしているのか教えてもらえませんか? 先生のことですから、単なる憶測による誹謗中傷なんかじゃなくて、しっかりとした裏付けがあっての発言なんですよね?」
「だから俺にはわかるんだよ。お前みたいなやつの素行がどんなものだかなぁ!」
「わかるって……まさか本当に憶測でものを言ってるんですか? なんの証拠もなく?」
「そんなのは調べればわかることだっ! ふん、そんな小賢しいことを抜かして誤魔化そうとしても無駄だ」
「どちらかというと先生の方が誤魔化してるように聞こえるんですが……」
「うるさいっ黙れっ! この売女がっ!!!」

うは。そんな言葉を面と向かって言われるとは思わなかった。
神経を逆撫でするように慇懃無礼な応対をしてた甲斐があったってもんだ。

ふと横を見ると真吾がかなりキレかけていた。
有塚の方を向いたまま真吾の膝をポンポンと叩く。
注意をこちらに向いてから再度膝を叩いた。
視線は向けなかったけど、真吾が小さく深呼吸したのがわかった。

「赤坂? おまえなら、なにか知ってるんじゃないのか? 今なら俺の胸ひとつでなんとでもできるから、正直に言ってみろ。ん?」
「………………」
「ふん。まぁいい。次は、おまえらの親に聞くだけだからな」
ニヤニヤと笑う有塚。

親かぁ……親ねぇ…………。

……母さんはすごく喜びそうな気がする。

それこそ、この写真をもとに婚約話を持ち出して、学校側と俺たちを説き伏せ、名実ともに結納まで持っていきそうな未来がリアルに想像できる。
しかも、この件については琴美さんも同じ立場だろう。
父さんや大吾おじさんも特に反対しなさそうだし、親が呼ばれるのは、別の意味でとてもヤバイ気がしてきた。

どうにかして、親の呼び出しだけは回避しなくては。

でも、有塚は俺たちの言葉だけで納得しないだろう。
説得するだけ無駄なのは今のやりとりだけでも十分わかったし、琴美さんを悪く言ったヤツに迎合する気もさらさらない。

となると、両親以外の第三者……しかも生徒ではなく、保護者と同じ立場を持つ人の協力が必要になるんだ……け……ど。

ふと未央先生の顔が浮かんだ。
『なにかあったら私に相談しろ。出来うる範囲でなら便宜を図ってやる』と言ってくれたことを思い出す。

そうだ。未央先生なら保護者代理として有塚も文句ないだろう。

問題はどのタイミングで相談できるかだけど、親が呼び出しされる前じゃないと意味がない。
いや、たとえ電話で先に連絡されたとしても、それからの対応で十分間に合うかな。呼び出しの内容が内容だし、そんなに心配することじゃないだろう。

それよりも学校側の決定というか処分の方が問題か。
停学とかになったら、すでに評判が地に落ちてる俺はともかく、真吾の今後に不利に働くことは間違いない。
進学するにしても就職するにしても、停学歴があるのは良く思われないんじゃないだろうか。

そう考えると、俺の生徒会長立候補にも影響が出そうでもある。まぁ、それでなくても選ばれる可能性は低いだろうから、実際には影響というほどのことでもないかな。コノエには悪いけど。

そんな考えに沈んでいると、ノックとともに有塚を呼ぶ女性の声が廊下から聞こえてきた。

この声は…………。

「これは神野先生。私になにか用ですかな?」
「はい。こちらに……波綺がいると聞いて来たんですが」
部屋の中を覗き込み、俺と真吾の姿を確認しながら言葉をつなぐ。

「波綺に用ですかな。しかし、神野先生。今は取り込んでいるので後にしてくれませんか」
「あぁいえいえ。特に重要な用事……になるかもしれませんね。波綺の面倒は私が見るようにと校長から言われているもので、なにか問題を起こしたと聞いて足を運んだんですよ」

渡りに船。
捨てる神あれば拾う神あり。
求めよ、されば与えられん。

しかも事情すら把握してるみたいで、こんな都合のいいことがあり得るのかと逆に不安になるほど、降って湧いた幸運に胸が高鳴る。

未央先生と有塚のやり取りを見ていると、ドアの影……有塚の死角で手を振るコノエが見えた。
にんまり笑顔のコノエを見て、ようやく今の事態へと繋がる理由に予想が追いついた。

コノエが裏で手を回してたのなら、こんな都合のいい展開にも納得がいく。

「そ、そうですか、いや、しかし……いくら神野先生といえども、まだ取り調べが終わってないんで、今は遠慮してほしいですな」
「取り調べとは物騒ですね」
「いや、いやいや。それは言葉のアヤみたいなものでして……」
「そうなんですか。なら、まずは事情だけでも伺えないでしょうか?」
「あー、だからですな……」
有塚は、なんとかして未央先生を追い返そうとする。

流石に他の先生の前では、さっきみたいな言動はできないという分別はつくみたいだ。
焦る有塚に比べて、未央先生はいつものように淡々と応対しているのが対比的で面白い。
やましいことがあるかないかの差だと思うけど。

「先生〜? そんなこと言わずに〜同席させてくださいませんか?」
「……っ!?」
不意にコノエが会話に乱入する。
気配を消して隠れてたコノエの突然の登場に、有塚は文字通り飛び上がって驚いた。
……わずか数センチではあったけど。

「なっ!? な、こ、ここのえ……おまえ……ど、どうして……」
あまりの動揺っぷりに、込み上げる笑いを必死で抑える。

でも、そんなに驚くようなことかな?
たかだかひとりの生徒に対して、未央先生以上に驚く理由が“普通は”見あたらない。

「やだなぁ忘れたんですか? 私は『波綺さくら』の代理人でもあるんですよ?」
「そ、それはこの前の件だけだろう!」
「ま、そうなんですけれど〜。無関係ではないってことで。失礼しま〜す」
「こら、待てっ!」
「いやぁ〜ん。先生どこ触ろうとしてるんですか〜?」
演技がかったコノエの反応に有塚の動きが止まり、コノエは悠々と席の後ろまで歩いてくる。

「ミキちゃんお待たせ〜。んで、これが例の写真なんだね」
机に置かれていた写真をマジマジと見つめる。

「どれ? ……なんだ、期待して来てみれば…………」
いつの間にかコノエの隣で未央先生も写真を覗き込んでいた。

「……なにを期待してたんですか!?」
思わず突っ込むと、未央先生は苦笑しながら俺の頭をあやすように撫でた。

「有塚先生、大丈夫ですよ。このふたりの間には特になにもありません」
「神野先生! 今来たばかりのあなたに、どうしてそんなことがわかるんですっ!」
自信たっぷりな未央先生の言葉に有塚が食ってかかる。

「そんなものは、生徒をしっかりと見ていればわかるものです」
「甘い。甘いですな神野先生。いいですか? 私の経験から言わせて……」

誰も聞きたくない有塚の教育論が始まろうとした瞬間、不意の大きな物音にみんなの視線がコノエに向いた。

「ごめんなさーい。椅子に座ろうかなって思ったんですけど、私ってそそっかしいから」
見ると、隣のパイプ椅子が床に倒れていた。

にしても、コノエがそそっかしいなんて到底信じられない。

「よいしょっと。……神野先生。きっと有塚先生もわかってると思いますよ」
コノエは椅子を元に戻しながら、中断した会話を引き継ぐ。

「ただ、こういうことは好ましくないから少しお灸を据えてやろうと考えただけで、オオゴトにするつもりはないんですよ。ね? 有塚先生」
「う、あ……」
訳知り顔で話すコノエの言葉を受けて、有塚はもごもごと言いよどむ。

「そうでしたか。有塚先生のお心も理解せずに、差し出がましい真似をしてしまいました。お気を悪くされたのなら申し訳ありません」
未央先生が深々と頭を下げる。

「ミキちゃんも赤坂センパイも、無用の誤解を受けるようなことは慎まないとダメですよ?」
なぜか場を取り仕切るコノエに注意される。
でも、言ってることは正論だし、たぶんこれも『筋書き通り』なんだろう。

「すみません有塚先生。以後、誤解を招くような行動は慎みます。そして、ご指導ありがとうございます」
「……すみませんでした」
真吾とふたりで頭を下げる。

「う、うむ。わかればよろしい。おまえは色々と微妙な立場でもあるし、その……注意しないとな」
「はい。ありがとうございます」
もう一度頭を下げる。

「うまく伝わってよかったですね有塚先生。それにミキちゃんも……もう“次は”ないですから。ね? 有塚せ・ん・せ・い」
「っ……あ、あぁ」
「あ、そうそう。ところで、その写真は誰が拾ってくれてたんですか?」
「………………」
あまりにも直球で尋ねるコノエに有塚は困惑の表情で押し黙る。

それは俺も気にはなっていたけど、そう簡単に教えてはくれないだろうと思って黙ってた。
それに実際聞いたら怒鳴り返されると思ってたんだけど、予想外な反応に注目する。

「まぁ、それは……だな、守秘義務というか」
「あぁ先生、誤解しないでください。拾っていただいたお礼を言うだけですから〜」
「しかし、だな……」
「別に隠すことでもないじゃないですか。この写真を受け取ったのは二日前ですよね? 放課後、場所はちょうどこの指導室の前だったかな?」
「な!? どうしてっ……」
「襟のカラーからすると三年生だと思ったんですが……」
焦る有塚とは対照的に、落ち着き払ったコノエは主導権を握ったまま会話を続けている。

中学の時は直接接する機会が少なかったから気づかなかったけど、ここ最近ともに行動するようになってからコノエの言動には驚かされっぱなしだ。

コノエになにかしらの勝負を挑むことは、ポーカーで例えれば、こちらだけがフルオープンの状態で対戦しているようなものじゃないかと思う。曰く『物事は常に勝算を立ててから取り組むことで、最悪でもイーブン程度には抑えられる』ってことなんだけど、その『常に勝算を立てる』前提からして普通の人には無理っぽく感じる。

「……御門だ。三年D組の御門から受け取った」
視線を逸らしたまま、苦渋に満ちた顔ではっきりと名前を告げた。

御門? 聞き覚えがない名前だ。
まぁ、そもそも知ってる人が圧倒的に少ないんだから当たり前か。

「……そうでしたか。ありがとうございます有塚先生」
「それはそれとして。本当に大丈夫なんでしょうな神野先生?」
「はい。万一の時は私が責任を取りますので。有塚先生には決してご迷惑はおかけしません」
「よろしく頼みますよ」
そう言って有塚は、俺と真吾を忌々しげに一瞥して退席した。

有塚が出ていったことで、なんとなく場の空気が穏やかになった。

「すみません未央先生……」
「ありがとうございました」
俺と真吾の謝罪に、未央先生はさして気にした様子もなく微笑む。

「気にするな。これくらいなんでもないさ」
そう言ってはくれたけど、感謝を込めてもう一度頭を下げる。

「はいミキちゃん。この写真はもう無くしちゃダメよ?」
「あ〜ちょっと見せてくれ」
例の写真が手渡されるそばから未央先生の手に渡る。

「あ、ありがとう。助かったよ。でも、よく状況がわかったね」
真剣な顔で写真を見つめる未央先生に苦笑いしながらコノエにもお礼の言葉を伝える。

「それは〜ちゃんとミキちゃんがコールしてくれたからね」
「コールって……あぁ、あれがそうなのか」

ここに来る前に携帯をギュッと握ったことを思い出す。

「前にも説明したと思うけど、携帯のトリガーとABボタンを五秒以上押し続けると、エマージェンシーコールを発信して待機モードに移行するの。コールは設定した携帯……ミキちゃんの場合は、私と響ちゃん、それにナギーが対象なんだけど、その三人に現在の位置情報と音声を送信するの……」
「音声を送信!?」
「きゃっ。ミキちゃん、突然大きな声出さないで」
「ご、ごめん……」
「それと携帯貸して?」
言われるままポケットの携帯を渡す。

「と、言うわけで無事解決しました〜。あとは私の方で処理しておきま〜す」
渡した携帯にそう話しかけてから、ボタンを同時押しするコノエ。
数秒後、チカチカと液晶部分が明滅して電源が落ちた。


「ひょっとして……今までの会話って、響と薙も聞いてたってこと?」
「う〜ん、最後までモニターしてたかどうかまでは確認できてないんだけど、コールはちゃんと受信してたかな。すぐにメールで問い合わせが来たし」
コノエは人差し指を顎に当て、天井に視線を送りながら答えた。

「そ、そっか……」
「ん? 説明したはずなんだけど、ミキちゃん聞いてなかった?」
「いや、確か聞いたような気がする……覚え切れていなかっただけで……」
今のを聞かれてたかもしれないのか……。
で、でも、なるべく冷静に対応したつもりだし、そんなにマズい応対はしてないと思う。うん。

「でね、もう一度五秒以上押すとモード解除されるから覚えておいてね」
「う、うん」
「ちなみにコール中はずっと通話してるみたいなものだから、使ったあとは早めに充電してね。それと、通話記録再生の操作で……外部スピーカーで再生……音量はマックスで……」
なにやら操作するコノエ。

『……えるんですが……うるさいっ黙れっ! この売女がっ!!!』
先程の罵声が携帯から再生される。

「って、しっかり録音されてるから。もちろん、私の方にもね」
無邪気そうな微笑みで嬉しそうに話す。

「待て九重。今のは有塚先生の声だな? 波綺、本当にこんなことを言われたのか?」
「あ……」
「そうです」
答えるより早く真吾が頷く。
未央先生は真吾と視線を合わせて、なにか考え込むように顎に手を当てた。

最近いろんな悪口を言われてるけど、女性蔑視的な言葉で罵られても正直ピンとこない。
傘を持ってないのに『なにその傘? 趣味悪すぎ』と言われてるようなもので、なに言ってるのかと疑問が浮かぶだけだ。

「まぁまぁ神野先生。今回はこちらにも落ち度があることですし、ここはひとつ不問にしておきませんか? せっかく丸く収まったことでもありますし。それに……いいカードが手に入ったと思えば、今回の件は悪いことばっかりじゃないと思いますから。やっと尻尾を掴めそうなことも合わせると、お釣りを貰いすぎたくらいです」
「尻尾って?」
意味不明な言葉尻を問い返す。

「うん。ようやく、ね。長くなるから、詳しくはあとで話すね」
「そう、ならまたあとで。それと、悪かったな真吾。迷惑かけちゃって」
俺の……と言うよりはメグのミスだと思うけど、真吾にまで波及することを考えていなかった。
自分ひとりならどうにでもなるけど、他人を、ましてや真吾を巻き込むことは本意じゃない。

「いや、元はと言えばウチの母さんが原因みたいだし、こっちこそごめん」
なんだか逆に謝られてしまう。

「それを言えば、もともとは俺が部屋を間違えたのが発端なんだから……」
「でも、母さんが写真にしなきゃ……」
「はいはいストーップ。そこまで」
俺と真吾の間にコノエが割って入る。

「今回は、お互い不可抗力ってことで決着つけましょう」
「……そうだね」
「そうしようか」
コノエの仲裁に、真吾と目を見合わせてお互いに苦笑する。

とりあえずは無事に済んだことだし、それで決着ってことでいいかな。
メグにはあとできっちり苦情を入れるとして。だけど。

「よし。そろそろいいだろう。さぁ早く授業に戻れ」
未央先生はパンパンと手を叩いて、俺たちを生徒指導室から出るように促す。

「そうだ先生、写真は……」
「ちょっと貸しておいてくれ。一応校長にも話を通しておくから」
「あ、すみません。よろしくお願いします」
「お願いします」
真吾とふたりで頭を下げる。

「いやいや気にするな。それと、波綺は放課後ちょっと寄ってくれ」
「はい」
「先生、私もご一緒していいですか〜?」
「もちろんそのつもりだ。九重もかなり興味深い存在だからな」
「え〜? 私はごく普通のイチ生徒ですよ?」
「おまえが普通なら、他の全生徒が異常なんだろう」
「あ〜ひどいなぁ神野先生」
コノエは全然堪えた様子もなく無邪気そうに笑う。

「あの……僕も同席していいですか?」
「ん? これは女同士の話……」
真吾の言葉に答えかけた未央先生が俺とコノエに視線を送る。
真吾が同席するのはどうなんだろう? なにを話すかにもよるけど、コノエの言う『尻尾を掴んだ』とは『赤坂ファンクラブ』のことだと思う。それなら変に責任を感じてしまうかもしれないから外してもらった方が……

「……でもないからいいぞ。時間は大丈夫なのか?」
考えてる間に、未央先生があっさり許可を出す。
え〜っと〜先生?

「部活がありますが、キャプテンに話しておきますから大丈夫です」
「そうか。波綺と九重もそれでいいな?」
「私は〜ミキちゃんがよければオーケーですよ〜」
三人の視線が俺に集まる。
……話の主導権もないのに、俺に選択を委ねられても困るんだけど……。

でも。
話の内容は間違いなく俺のことだろう。
今日のこと。噂のこと。根本の原因だという赤坂ファンクラブのこと。
それならば真吾もまったくの無関係じゃない。
だからこそ、真吾には関係ない立場でいて欲しかった。
自分のせいじゃなくても、人の良い真吾のことだからなんらかの責任は感じるだろう。

真吾と視線を合わせる。
強い意志がこもった視線。

………………。

「はい。私もいいです」
これ以上は隠せないと思った。

同席を申し出たのは、真吾自身もなんらかの関係があることを薄々感づいているんじゃないだろうか。
だとすれば、隠すことは必ずしもプラスには働かないだろう。

「よし。では放課後忘れるなよ。私は校長室に寄っていくから、おまえらも早く戻るように。解散」
未央先生は最後にもう一度手を打って、俺たちはそれぞれの思惑を抱いたまま自分たちの教室へと戻った。

 
   






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